(by 安藤エヌ)
久しぶりに面白い映画を観た。面白い、の定義は人それぞれ違うと思うが、私の場合、面白いと感じる映画には共通点がある。映画のシナリオを担う筋がしっかりしていてユーモアに富み、ストーリーが整っており、かつ感動の起伏を上手くコントロールする脚本の上で描かれている作品を、特に面白い映画と感じる。
最近で脚本の良さを感じた映画は、『イエスタデイ』『ジョジョ・ラビット』『グレイテスト・ショーマン』だ。どれもエンタメ作品として非常に完成度が高い上に、思わず鑑賞しながら「巧い!」と唸ってしまうほどに脚本が良かった。特に『イエスタデイ』でジョン・レノンが登場するシーンや、『ジョジョ・ラビット』『グレイテスト・ショーマン』のラストで物語を締めくくる金言が出てくるところは、私の映画鑑賞体験の中でも群を抜いて印象に残っている。
普段から映画を観ていて感じる、映画はひとりの人物だけでは成り立たない、さまざまな役割が各々のパフォーマンスを最大限にまで発揮してこそ素晴らしい作品が生まれるのだ、ということを強く感じ、そしてその中で脚本という、映画の要ともいえるものの存在感と重要性を改めて実感したのだった。
そんな前置きをして今回筆を執ってみたいと思ったのは、2019年のアカデミー賞で脚本賞ほか多くの賞を総なめにした映画『グリーンブック』だ。
イタリア人の粗野な男・トニーが用心棒兼ドライバーとして黒人ピアニストのシャーリーと差別の色濃いアメリカ南部を目指しコンサートツアーに同行する、というストーリーの本作は実話に基づいており、エンドロールでは実在したトニーやシャーリーの写真を見ることができるほか、バックグラウンドで流れている「The Lonesome Road」は実際にシャーリーが演奏した音源を使用している。
タイトルの「グリーンブック」とは当時、国土が広いゆえに差別意識にムラがあるアメリカにおいて安全な旅行ができるよう、黒人専用の宿泊ホテルなどを一覧にして載せたガイドブックのことである。まず、この「グリーンブック」をタイトルにしているところにセンスが光っていると感じた。痛快なコメディの要素もふんだんに含みながらも、伝えたいのは黒人差別の理不尽さや横暴さであるゆえ、直球で悲痛なタイトルをつけようと思えばいくらでもできるし、ストーリーにおいても更に重苦しい差別描写をしようとすればできる設定だ。
しかしあえてそうした“教養的映画”としての路線を選ばず、エンタメとして十分に楽しめる映画に仕上げたところは、先に挙げた『ジョジョ・ラビット』にも似た姿勢を感じる。観客を楽しませながら、同時に今なお残り続ける根強い問題へまなざしを向けさせる試みは、何よりも問題に対して真摯であることの証拠だと、私は思っている。
また、本作にはケンタッキー・フライド・チキンや翡翠の石など、グリーンブックの他にも印象的なモチーフが多く登場するが、そのどれもが無意味な登場の仕方をしないところも魅力だ。フライドチキンは富裕層のシャーリーにとって未知の食べ物だったが、自分の在り方を見つめ、自己を解放に向けていく終盤付近では、トニーと一緒に立ち寄った店でフライドチキンを並んで手づかみで食べる描写がある。またトニーが道中立ち寄った店で盗もうとした翡翠の石も、終盤になって大きな役割を果たす――差別で受けるものとは正反対の、人の優しさを感じられるような、とても感動的なシナリオで。
映画のタイトルになっているグリーンブックは、トニーが宿泊先でおもむろに読んでみせたりして、非常に些細でさりげない登場をしているのだが、それなのになぜこんなにも存在感があるのだろうと振り返ってみれば、この映画が全編を通して伝えたいことを凝縮したのが、このグリーンブックというモチーフなのだということに気づく。
そういった随所にちりばめられた感情の起伏を起こす細分化されたストーリーのかけら達が、この映画を素晴らしい作品にしているのだと感じる。
脚本だけでは映画は成り立たず、脚本なしでは映画も成り立たない。一蓮托生の関係ともいえる、映画と脚本。良い映画というのは往々にして脚本が良く、まさに同じ運命をともにしたバディのような関係なのだ。
人々の心を揺さぶる脚本は、ひとつの微細に整備されたロジックとして、またとても感情的なひとりの人間の心の内にも似たぬくもりとして、映画をより良いものにするためにこれからも映画の傍らに存在していくのだろう。
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