【推しの一作】愛しきものの不在とともに生きる~坂元裕二作品における「叶わなかった恋」への慈しみについて~

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(by 遠山エイコ

映画『花束みたいな恋をした』の大ヒットも記憶に新しい脚本家・坂元裕二。4月には東京、5月には札幌で朗読劇の公演があり(大阪公演は緊急事態宣言の影響により中止)、現在はドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』が放送中だ。

一世を風靡したトレンディドラマ『東京ラブストーリー』をはじめ、オリジナル脚本の『最高の離婚』や『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』など、坂元裕二はこれまで数々の名作ラブストーリーを世に送り出してきた。

そんな坂元作品では、「叶わなかった恋」がしばしば描かれる。『花束みたいな恋をした』もまさに、「別れる」という結末がわかっているカップルの5年間を描いた物語であるし、坂元本人の口からも「若い頃に出会った2人の恋愛がうまくいくわけない」という趣旨のことがイベントやインタビューで度々語られており、そこにはディスコミュニケーションを描かせたら右に出る者はいない坂元裕二の恋愛観がちらりと窺える。

私にとって恋の原風景は、誰かを想ってドキドキしたり一喜一憂したりする溢れんばかりの好きの気持ちだ。けれど歳を重ねるほどに思う。わくわくしたりときめいたりするような恋の只中にいるときの気持ちはその全体像からするとほんの一部分でしかないし、恋というものは、失ってなお無くならないものであると。むしろ終わってからが本番とすら言えるかもしれない。

望むと望まないとに関わらず、消えない恋の記憶を持つ人は多いだろう。恋が終わってからの人生の方が長い。なのに、それはいつまでも恋であり続けるのだ。

きっと絶望って、ありえたかもしれない希望のことを言うのだと思います。

朗読劇『不帰の初恋、海老名SA』より

中学生の頃に心を通わせ合った2人が離れ離れになり、大人になって再会(メールでのやりとりだが)してから、離れていなかったらもっと違う未来があったかもしれない、と語る場面での台詞だ。

「ありえたかもしれない希望」を思えば思うほど現実の「絶望」がくっきりと浮かび上がり、同時に現在進行形の「好き」も無視できなくなる。絶望と希望という対極にある言葉を用いることで、その切実さは強度を増して読み手(観客)の胸に迫ってくる。

君がいてもいなくても、日常のなかで、いつも君が好きでした。

朗読劇『不帰の初恋、海老名SA』より

好きだってことを忘れるぐらい、いつも好きです。

ドラマ『カルテット』より

例えば「急めな階段を降りるとき」。例えば「白い服でナポリタン食べるとき」。そういう、日常の「ちょっとだけがんばるとき」、いつも大切な人が心に寄り添っていてくれる。だからがんばれる。そんなことを表現したシーンで放たれる2つの台詞だ。

棚の一番奥の方に、大事にしまってあるので。
それぞれが別々に一個ずつ持っているんだと思います。

私の恋をしまっておいてください。

ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』より

棚というのは、心のなかの思い出が並ぶ棚のことだろう。互いに想い合っていることがわかっていても、それぞれを取り巻く状況や他の誰かのことを思いやった結果、この恋は諦めるしかない、自分の胸にしまって生きていく、と決意したときの台詞である。

これらの台詞に共通して感じられるのは、「叶わなかった恋」はそこで終わりではない、ということだ。もうここにはないけれど、ないけれどあり続ける。「叶わなかった恋」のあとには、「不在との共存」が始まる。愛しきものの不在は時に胸を締め付けるが、いつしかそれは自分にとってなくてはならないものとなり、その後の人生に寄り添ってくれるお守りとなる。なくなってしまったものなのに、時間が経てば経つほど心に揺るぎなく根を下ろしていく。

大切な思い出って支えになるし、お守りになるし、居場所になるんだなって、思います。

人は、手に入ったものじゃなくて、手に入らなかったものでできているんだもんね。

ドラマ『anone』より

後者は田中裕子演じる亜乃音が、愛情を持って育てた血の繋がらない娘との関係が本当の母親の出現によって壊れてしまったことを嘆くシーンでの台詞である。恋愛ではなく親子間の愛情について言われた台詞ではあるが、どんな関係性においても当てはまる普遍性がある。亜乃音は「愛してくれなかった人の方が心に残るもんね」とも言っている。

他人から見ればほんの些細な出来事でも、自分にとっては宝物みたいに大切にしまっておきたいことってある。壊れてしまったお気に入りのおもちゃを捨てられない子どもみたいに、いつまでも「好き」を捨てられないことってある。

過去にばかり囚われて前に進めないと悩む人に、坂元裕二の紡いだ珠玉の台詞たちを贈りたい。どうかその思い出を大切に、自分の心の棚の一番奥にしまっておいて。たまに取り出して慈しんで。そうすれば私たちは日常のいろいろを、ちょっとずつ、がんばっていけるはずだから。

最後に現在放送中の坂元裕二最新作より、台詞をひとつ引用して終わりたい。

別れたけど、今も一緒に生きてると思ってるよ。

ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』より

松たか子演じる大豆田とわ子がこう言ったとき、これまで坂元裕二が手のひらに包むようにして守ってきた「叶わなかった恋」という尊きものを、本作では丸ごと飲み込んで歩みを進め、不在や思い出の一歩先を描こうとしているのではないかと私には思えた。とわ子と三人の元夫の生き様がそれを見せてくれるような気がする。最終話まで目が離せない。

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(c) Kansai Television Co. Ltd.
ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』公式サイト

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この記事を書いた人

子育てしながらライターやPRのお手伝いなど。邦画やドラマが好きで、推しが命。noteTwitterも。