(by 安藤エヌ

コロナのおかげで(せいで?)激太りしてしまった。ぽっちゃりとした頬、たるんだお腹。去年の夏に一念発起して有酸素運動と食事制限をしたものの、思うように続かずリタイア。そこから半年間、時間がないという理由をつけて怠惰をきわめた結果、いまだダイエットに成功できないでいる。

周りを見渡せばスレンダーな美人の多い友人界隈を見ていると、極端に焦る。彼女たちが日々輝いて、おしゃれを楽しんでいる姿を横目で見ながら、このままじゃだめだ、だめだ――と念仏のように唱えている毎日が、習慣化された仕事や最低限の文化的な生活に押し流され浪費されていく。

美意識、というものは自然に培われるというけれど、私の場合、ほぼ強迫観念と同じ形で「美しくなければいけない」という気持ちに襲われる時がある。正直、つらい。美しさに対してのコンプレックスを抱き、現状を持て余して生きることは苦しい。ならば努力をしろというだけの話なのだが、それがけっこう難しいのだ。

そんな私が「痩せている=美しい」という概念に縛られ、ガチガチに固まり身動きが取れなくなった時に観る映画がある。『ヘアスプレー』だ。王道ミュージカル映画としてしばしば紹介されることもある有名な作品なので、知っている方も多いかと思う。

黒人差別の風潮がいまだ色濃く残るアメリカ合衆国ボルチモアに住む主人公トレイシーは、ティーンの憧れであるダンステレビ番組「コーニー・コリンズ・ショー」に出演しているリンクという青年に身も心も夢中な、快活で元気なビッグサイズの女の子。くよくよ悩むより先に身体が踊り出してしまう彼女は、ショーのオーディションに挑戦し、紆余曲折あって番組に出演する夢を叶えるのだが、白人主義で痩身のダンサーしか番組に出演させない、と主張する番組プロデューサーのヴェルマが立ちはだかり――。

私はこの映画の主人公、トレイシーの体型を見て、思わず自分のそれと重ねた。お世辞にも痩せているとはいえないその体型を、私はことあるごとに憎んでいるのに、トレイシーは自分の体型などお構いなしに全力で夢を追いかける。

彼女と自分の違いはどこにあるのか、と考えたとき、自分を受け入れられるか否かという問題より、「人生を楽しめているか」という根本的なことに気付く瞬間が、この映画を観ているとふいに訪れる。

人生はミュージカル、とよくいったものだけれど、そんな風に生きられたらどんなに良いことか、と斜に構えて生きてしまっている私にとって、トレイシーの生き生きとした表情やダンスで思いを表現する姿はどうしようもなく眩しくて、彼女は自分が主人公の物語を生きているのだ、と思わせられる。

いつしか私は自分のことを「誰かの人生のわき役」だと思っていた。どこかにいる、きれいで痩せていて、メイクするとどんな色も似合い、どんな服も着こなせるような人の、鏡の奥でひっそり背中を丸めて生きているわき役。

「そんなんじゃ、コーニー・コリンズ・ショーには出られないわよ!」とトレイシーは私に言う。ショーに出て、あこがれのリンクと踊り、満面の笑みをはじけさせた彼女が私の手を取る。そうか、私は、私のままでいいんだ。痩せたいと思う気持ちも、トレイシーを本当の意味で「きれい」だと思うのも、ぜんぶ私の素直な気持ちだ。痩せる/痩せないの話ではなく、これはあくまで気持ちの捉えようの話で、自分を主人公だと思って人生を楽しめたら、きっともっと前向きになれる気がするから。

今のところ考えているのは、私もトレイシーと同じくリンク(を演じるザック・エフロン)が好きなので、彼の写真をテレビに貼って運動するとか、彼の歌う曲をBGMにランニングをしたりだとか、そういう感じで「トレイシーになりきって、あわよくば痩せたい」という試みだ。彼女から発せられる、何ものも厭わない溌剌としたエネルギーをもらって、自分の理想もちゃっかり叶える。

私が目指すのは「スレンダー版トレイシー」だ。痩せたいという気持ちを持ったまま、もっと自分を好きになるために努力したり、明るく生きたいと願っていい。その一歩を踏み出すきっかけを作りたくて、私は『ヘアスプレー』を観る。

彼女は素敵だ。なんたって、とってもチャーミングで、誰の手も借りず自分自身の力だけで夢を叶えたのだから。がんばる、というより楽しむ、ということを教えてくれた彼女のように私も生きて、いつか「You Can’t Stop The Beat」に合わせて踊るためのスカートが似合う女の子になりたいと思うのだった。

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『ヘアスプレー』映画.comページ

 

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