(by みくりや佐代子

カレーライスを食べる人には共通項がある。それは誰もが「大きな口を開けること」。

あたたかいカレーライスが目の前に現れると、どんなに可憐な女性でもちまちま食べはしない。大きなスプーンに掬う一口分は、だいたい他の料理の1.5口分ほどの量で、それを大きな口を開けて美味しそうに食べる。

わたしはそれを厨房から見るのが好きだった。学生時代にアルバイトしたカレーライスのチェーン店、厨房からは人の食事をする姿がよく見えた。

「帰る前に食べてっていいですか?」

バイト仲間でもあった大学の後輩は、よくそう言ってまかないをせがんだ。まかないと言っても半額は払わないといけない決まりだったので、わたしは毎回「ほい」と右手を差し出してその薄い財布からお金を徴収した。

美味い美味いと大口を開けて食べる後輩に「カレーばかりで飽きないの?」と聞いたことがある。彼は即答した。

「飽きないです。大好物ですから」

映画「かもめ食堂」は公開から10年以上経ってもなお根強い人気を誇る映画である。舞台はフィンランド、そこで一人の日本人・サチエが「かもめ食堂」をオープンさせたところから物語は始まる。しかし閑散とした店内、客はコーヒーをタダ飲みする青年しか寄り付かない。

そんな折サチエはフィンランドを訪れていた観光客のミドリと出会い、共にかもめ食堂を切り盛りするようになる。映画「かもめ食堂」は、そんな二人の日本人女性と食堂を訪れる人々との静かな交流を描いた、実におだやかな映画だ。

「かもめ食堂」には食事や料理のシーンが多く登場する。おにぎりの具を工夫して試食したり、シナモンロールを作ったり、揚げたとんかつをサクサクと切ったり。特にフィンランド人の夫婦が和食を美味しそうに食べるシーンは、一瞬だが観る者の心を掴む。
また、調理の際の「音」もふんだんに使われており、つい目を閉じて聴いてしまう。

「食べること」は人に最も優しい行為だ。憎い相手を前にあたたかな食事を出すものはいない。

例えば「かもめ食堂」が書店や雑貨屋であってもいいのだけど、やはり「食べること」を介しているからこそ人と人との距離がスピーディーに縮まるのだろう。

かもめ食堂はどんなお客さんもあたたかく迎え入れる。そして食事という優しさを差し出すことで、訪れた側はお腹だけでなく心も満たされていく。

それを表すのがこんな会話だ。

「ねえミドリさん、もし明日世界が終わっちゃうとしたら最後に何したいですか?」

「すごーく美味しいものが食べたいです」

「やっぱり?!わたしもね、この世の終わりって時には絶対に美味しいものが食べたいんですよ。とっておきの材料買ってきて、いっぱいご馳走を作って好きな人だけを呼んで。美味しいお酒を飲みながら、のんびり美味しい料理を食べて」

この世の終わりにふさわしいほどの幸せな行為を、サチエは「かもめ食堂」を通して多くの人にふるまおうとしている。

自宅でカレーライスを作るとき、食べる人のことを考える。息子の苦手な玉ねぎは、姿を隠すように薄切りで。娘はきのこが入っていると喜ぶ、きっと。

そんな日はいつも「かもめ食堂」を思い出す。「食べる」という優しさに満ちた行為を毎晩家族と共にできる喜びは、だいたい普段、忘れてしまいがちなものだから。

そういえば劇中でこんな台詞もあった。サチエが男性客から「コーヒーがおいしくなる方法」を教わるシーン。男性客がおまじないをかけながら淹れたコーヒーを、サチエが静かに口にしたとき。

「コーヒーは自分でいれるより人にいれてもらう方がうまいんだ」

そう伝えて去っていったその人の言葉に、「まかないがこの世で一番うまいっす」とはしゃいだ大学の後輩の笑顔が鮮明に蘇った。

彼は今もどこかでカレーライスをほおばっているのだろうか。

人に作ってもらう喜び、そして作る相手がいる喜び。「食べること」は生活の中で繰り返される。
それがこの世の終わりにふさわしいほどの幸せな行為だと、胸が痛むほどに噛みしめて、今日もキッチンに立っている。

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(C)かもめ商会 Photo 高橋ヨーコ
『かもめ食堂』映画.comページ

 

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