【この一冊】『カラオケ行こ!』は、寿司ネタでいうなら炙りえんがわのようなマンガだ

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(by 安藤エヌ

突然だが、私は腐女子(ふじょし)だ。

腐女子とはいわばネット用語の一種で、男同士の恋愛が描かれた作品を好む女性、という意味がある。昨今ではオタクカルチャーにおいてもジェンダーの価値観が捉えられ、男同士の恋愛(ボーイズラブ)を嗜む女子に「腐っている」という呼称をつけることに異議を唱える動きも見受けられるようになってきた。とはいえ、昔から馴染みの深いこの呼称で自身を紹介することをどうか許していただきたい。

さて、そんな私が今回紹介したい作品が、和山やま著『カラオケ行こ!』である。著者の和山やま氏は同人誌即売会で作品を発表し、そこから商業誌デビューしたマンガ家だ。独特なギャグセンスとゆるいテンポ、どこか古風な絵柄のツボにはまる読者が続出し、今や名だたる賞を数多く受賞している売れっ子作家である。

彼女の描いた『カラオケ行こ!』を、どんな風に語ろうか――と考えた時、私の脳裏にひとつのキャッチコピーが浮かんだ。「このマンガを寿司ネタに例えるのならば、きっと炙りえんがわだろう」というものだ。

腐女子(もっと刷新的な言い方があるかとは思うが、今回は便宜上この言葉を使うことにする)には人それぞれ、寿司屋に行くと必ず頼むお気に入りの定番ネタがある。先生と生徒の許されざる恋、幼馴染の友情と恋愛の狭間で揺れる甘酸っぱい感情……など、「これだよこれ!こういうのが食べたかったんだよ!」という数多の作品を味わい肥えた舌に適うネタを持ち合わせている。その中でも特段「王道」と言われるものは、いうなればマグロやサーモンといったところだろうか。大抵の人がまず手始めにと頼み、美味しくいただく主役級のネタだ。

『カラオケ行こ!』は、歌のうまい中学生・岡聡実と、ヤクザの成田狂児がひょんなことで出会い、ヤクザの間で開かれるカラオケ大会でどうしても負けたくない狂児のために聡実がカラオケボックスで歌を教えるという、なんともエキセントリックな構図が描かれたマンガである。相手がヤクザなので、聡美は委縮するかと思いきや、ズバリと竹を切ったような物言いで狂児の歌を持ち前の耳の良さで斬り、アドバイスを授ける。そんな聡実に感心した狂児はことあるごとに彼をカラオケに誘うようになる。

このふたり、一見してみるとなんら発展も起きなさそうな凸凹コンビなのだが、終盤になるにつれてなんだか「そういう雰囲気」を醸し出してくるようになる。出会うはずのなかった相手のために一喜一憂したり、優しく微笑みかけたり。描いている和山やま氏の意図しているところなのか、はたまた彼らが勝手に互いの距離を縮めているのか――とにかく、少しでもそういったものを嗜んでいる読者なら嗅ぎ分けてしまう「旨味」のようなものが、ふたりから立ち上ってくるのだ。

これを私は、「ああ、上等なえんがわを炙っているんだ」と思う。噛みごたえがあるという部分はそのまま、こんがりと表面だけ焼けたえんがわは、生のそれとはまた違った美味さがある。マグロやサーモンのキング・オブ・メジャー感とはまた違う。しかしこのマンガは、それでいいのだ。むしろ、王道感を出されてしまうと一歩後ろに引いた目で読んでしまうかもしれない自分がいる。どうせこのふたり、後からくっつくんでしょ?と斜に構えた読み方をしてしまっていたかもしれない。狂児と聡実は、その絶妙な感覚の上をなぞるように仲睦まじげに肩を組んで通り過ぎていく。そして通り過ぎて行く先は、やっぱりカラオケなのだ。

ふたりの関係を、あえて恋とは言いたくない。これは恋ではない、と何度読み返しても思う。同時に、「恋といってみても誰も傷つかない」と思ってしまう。ラブとかデスティニーとかそんな甘やかな言葉は到底似合わない、街の片隅にあるカラオケボックス。しかし彼らにとって、そこは特別に他ならない場所なのだ。

寿司屋に行って、まずは炙りえんがわを最初の一貫に選ぶ日があってもいい。恋とか愛とか、美味しいものは沢山あるけれど、たまにはちょっと乙なものを味わってみたい方におススメしたいマンガだ。

++++
(c) Kadokawa, 和山やま
『カラオケ行こ!』amazonページ

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この記事を書いた人

安藤エヌのアバター 安藤エヌ カルチャーライター

日芸文芸学科卒のカルチャーライター。現在は主に映画のレビューやコラム、エッセイを執筆。推している洋画俳優の魅力を綴った『スクリーンで君が観たい』を連載中。
写真/映画/音楽/漫画/文芸