(by 蛙田アメコ

「天には栄え御神にあれや 土には安き人にあれや」と、天使はクリスマスに歌うのだという。

ラテン語では”Gloria in excelsis deo et in terra pax hominibus bonae voluntatis”というやつだ。

“Gloria in excelsis deo”の部分はクリスマスに街中で流れている賛美歌でお馴染みだし、”et in terra pax hominibus bonae voluntatis”の部分といえば混声合唱組曲『インテラパックス 地に平和を』で耳にしたことがある一節かもしれない。

「人々に平和が、地にありますように。」「地球に愛を、僕らに夢を。」
人間は、ない物ねだりが得意だ。手に入らないものにいつでも憧れていて、ここには存在しないモノを恋するように見つめ続けている。この地上において、人々に平和があったことなどない。だからこそ、天の御使いは高らかにそれを歌い祈るのだろう。祈りにおいて美しい対句になっている、神の栄えが天にあるのかないのかは、私にはわからない。あったらいいなと思いながら、神様に日ごとの糧を感謝して、ここにはない何かについて祈る。

1990年に作曲された組曲が『地球に愛を、僕らに夢を……』と歌っているのも、そのあとの三十年の歴史を振り返ると実に象徴的で、「あぁ、遠くなっていく、失われていくものをそれでも願う美しい歌だ」と感じざるをえない。人間は、無い物ねだりばかりが上手だ。

無い物ねだりが上手いのは、人間は自分の手にあるものや手に入ったものの価値をひどく低く見積もってしまうからだ。「釣った魚にエサはやらない」的な行動も、発生する根っこは同じだろう。隣の芝生はいつだって青い。私が持っているものを、私は取るに足らないものばかりだと思ってしまう。けれど、たぶん私以外の誰かにとっては喉から手が出るほどに欲しいものだったりするのだ、たぶん。せっかく手にしているものをないがしろにして、無い物ねだりを繰り返して、手の中にあった小さくて大切な幸せまで失ってしまう……とってもありふれた話だ。人間というのはままならない。

きっと誰だって、「もっと鼻が高かったらな」とか「大金持ちに生まれていたらな」とか「もっともっと頭がよかったら」「足が速かったら」「モテモテだったら」とか考えたりする。寝る前とか、トイレの中とか。私も毎日、そんなことを考えて生きている。

もっと、たくさん感想いただける作品を書きたい。
もっと、推される作家になりたい。
もっと、面白い作品が書きたい。
もっと、もっと。

そんな気持ちばかりが先行して、「今書いているこれって、本当に面白いのかしら…?」と筆が止まる。
筆が迷うときには、やっぱりそれは文章に滲み出てしまっていて。そんなときに、今あるご縁や、今までいただいたファンレターや、応援のお言葉をひとつひとつ丁寧に並べてみる。今綴っているお話の登場人物達の心の中に潜ってみたり、プロットを眺めて物語のことをウンと考えてみたりする。そうすると、ない物ねだりが少しマシになったりする。
自分の手元にあるものは、やっぱり大切にしたいのだ。
どうか、私の筆が迷わないようにしてください――と祈ってみても、それはお得意のない物ねだりだ。

筆が迷うのはいいことだ。
そのたびに立ち止まって、綴るべき言葉を選べる。
いつか在ってほしいと願う地の平和を、ずっと昔から人が祈っていたように。
いつか書きたい物語のことを思いながら、今日も私は筆を迷わせている。
並べて考えることも恐れ多いほどに、卑しくてエゴイスティックな祈りだけれど、私はない物ねだりをやめない。伸びしろがたくさんあるんだし、それってとてもワクワクするし。
自分の書いたものが、いつか誰かの心を平和にしたり、ワクワクさせたりしたらいい。そんなことを思いながら進んで、上手くいったりいかなかったりするのが人生なのかもしれない。

そう、ない物ねだり上等だ。
いと高き栄光やはるかな地平の平和に思いを馳せる憧れと祈りが、きっと人間の本質なのだから。

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画像:アディさんによる写真ACからの写真

 

 

 

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