【映画レビュー】『花束みたいな恋をした』~あまりに静かな恋と暮らしに「花束」の新たな意味を知る

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(注:本記事では一部、映画の結末に触れています。)

映画『花束みたいな恋をした』。2015年の東京を舞台にした、大学生カップルの恋愛の軌跡。人気俳優の菅田将暉と有村架純が主演をつとめる上、坂元裕二が脚本を手掛けたとあれば飛びついた方も多くいるのではないだろうか。

私もそのうちの一人だ。「かつてサブカルを愛した恥ずかしい元大学生」の自分を客観的に見てやろうと変な意気込みを持って映画館に向かった。結論を先に言えば有村架純のあまりの美貌に全く過去の自分が重ならなかったわけなのだけども……。

作品は、良い意味で「仕掛けのない」、純度の高い王道ラブストーリーだった。

好きな作家や映画や音楽が一緒で、恋に落ちた麦と絹の二人。共に暮らし、共に支え合い、それでも逆らえない機微な変化に、ゆっくりと心離れていく過程の5年間が描かれている。

映画は終始、主人公の麦と絹のモノローグを軸に進んで行く。まるでふたりの日記を交互に覗き見ているような感覚になる。

また、さすがの坂元作品とあって敬語でのやりとりが絶妙であった。麦と絹の距離感が徐々に近づいていくのが「話し言葉」を基に丁寧に表現されている。

この映画には「敵」が現れない。麦と絹の物語には「恋のライバルが出現!」や「彼が隠していた秘密の過去…」といったような二人の恋愛を脅かす「敵」がいない。
しいていうならサブカルチャーを共通言語とする彼らにとって「メジャーで俗な人々」は「敵」かもしれないが、それでも二人の愛を引き裂くような強固な存在ではない。

「敵」の現れない物語にはただただ平凡に愛し合う日々が淡々と進んでいくだけで、だから二人の恋は時間をかけて、致命的な出来事もなく、ゆるやかに死んでいく。

二人は何の努力も怠らなかった。感情的な言い合いに発展しそうになったら互いに自制し、相手を傷つけないように言葉を選んだ。だからこそ、行き場のない本音がモノローグを増やしていく。

そしてそれだけの努力しても恋の終わりはじわじわと迫ってくるのだ。それがあまりにリアルで、どこまでも悲しかった。

物語の終盤、互いに別れを決意して麦と絹はファミレスにいた。それなのにいざ別れ話が始まるとケリがつけられず、麦は突然「結婚しよう」といった。麦は、絹となら「家族」という別の形でこれからも新たな関係性を築けると、必死に説得した。

「恋愛感情がなくたって、」と麦が口を滑らせた瞬間ふたりは同時にたじろいで、けれどどちらも言及しなかった。真実から目を逸らすことのほうがよっぽど簡単だったのだ。

そこに偶然現れた、出会ったばかりの若い男女。彼らはかつての自分たちのような初々しさを纏っていた。出会いの答え合わせをするように一つずつ互いの好きなものを差し出し、どんどん話が弾んでいく二人。

その光景を前に、麦と絹は何も語ることができなくなった。若い男女の煌めきを前にして確信してしまったのだ。自分たちの関係性が変わってしまったこと、そしてかつての二人にはもう二度と戻れないということ。

これまた気の合う二人のことだから、その「確信」を同時にしてしまって、二人はこれまで何度もすれ違ってきたのにもかかわらず、皮肉なことに最後は、最後だけはすれ違わなかった。

映画を観終えた後、「花束」の意味をもう一度考えた。そしてそこに2つの意味を見た気がした。

ひとつは、「花束みたいな恋」とは決して「他人から見て」という枕詞はつかないということだ。

わたしは当初「花束みたいな恋」と聞いて「どれだけキラキラとしていて青春の詰まった恋なんだろう」と想像していたけれど、違う。「花束みたいな恋」とは決して「他人から見て」という枕詞はつかない。

なぜなら描かれたのは他人が羨むわけではない、ごくありふれた、生活の記録のようにシンプルな「恋愛の始まりから終わり」だけだったから。そして結局そのような「平凡な毎日」が、麦と絹、たったふたりの当事者から見て何にも代えがたい「花束みたいな恋」だったのだ。

そしてもうひとつ。「花束」とは「紡いだ日々の中から切り取った美しい部分」の集合体なのかもしれない。

絹は麦に別れを告げる時、「ありがとう」の一言に尽きると言った。楽しかったことだけ、しまっておくと言った。

本来、花束は多くの花の中から一本一本を選んで、枝の長さを揃え、要らぬ葉を刈り取って、綺麗に整えたものだ。麦と絹が抱きしめた花束もきっとそうだったのだろう。後悔や自己嫌悪にまみれた記憶はきちんと手放して、多くの思い出の中から選び取った揺るぎない愛の記憶だけを、大切に大切に包んだのだろう。

二人の日々を編集したもの、それが「花束」だったのだ。そしてそれを互いに胸にしまって、ふたりは別々の方向へと歩き出す。

雪のちらつく平日の昼下がり。私は映画館を出て喫茶店に立ち寄り、ホットのホワイトモカに口づけながら麦と絹のことを考えた。そして斜め前の席に座っていたカップルに麦と絹を重ねた。仲睦まじいその姿に「彼らの恋も静かに終わるのだろうか」なんて不謹慎なことを考えて、すぐさま心の中で「ごめんなさい」と呟いた。

そして願った。他人から見てはありふれた恋愛でも、彼ら自身にとって花束のような毎日が末永く続くように。そしていつか過去を振り返った時、彼らの腕の中にあるのが、美しい色でいっぱいの大きな花束であるようにと。たった今知ったばかりの「花束」の新たな意味を彼らに贈ることで、私もまた過去にケリをつけて前に進むことができる気がした。

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(C)2021「花束みたいな恋をした」製作委員会
『花束みたいな恋をした』映画.comページ

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