(by 翳目

それは不思議な感覚だった。まるで夢心地みたいな浮遊感があるのに、いつか何処かで体験していたかのようなリアルな描写が、映像を通して私の記憶の中をまさぐり続けた120分だった。

映画「パターソン」は2016年に製作されたアメリカ映画。主役はあの世界が誇る名作長編映画「スター・ウォーズ」シリーズのアダム・ドライバーだ。しかし「スター・ウォーズ」のスリリングなSF的展開とは打って変わり、本映画は至ってシンプルな構成。

バスの運転手として働く主人公・パターソンの朝は早く、愛する妻にキスをしてからいそいそと起床して支度をするのが日課。日本でいう「チョコワ」のようなシリアルに牛乳を注いだものを食べ、同僚と他愛のない会話を交わして街の人々をバスに乗せる。日々入れ替わる乗客たちのさまざまな会話をBGMに微笑しながら、自然に囲まれたのどかなニュージャージー州・パターソン市を巡回し、帰宅後は愛犬・マーヴィンの散歩がてら、贔屓にしているバーで1杯だけ酒を飲む。

日本のサラリーマンと何分変わらない、規則正しい生活を送るパターソン。愛する妻と愛犬に、腹を割って話せるバーのマスター。さまざまな夢や理想をスクリーンに映し出してくれるところが映画の魅力であると謳われる中で「パターソン」は異例だ。至って変わらない平坦な毎日が、どれほど美しいものであるかを教えてくれる。理想の幸せはいつも身の回りにあり、私たちはそれに気づいていないだけであることを、映画の中に登場するさまざまな人物との会話や情景をもって示してくれるのだ。

パターソンの趣味はポエムをしたためること。ふとした瞬間に浮かんだよいフレーズをいつでも書き留めておけるように、専用の『秘密のノート』を常備し、始業前のバスの中、地下にある自室、街中のベンチーーどこでも自身の感性に筆を委ねて丁寧に記録する。

詩の内容についてあまり多くは語られないが、時には「君のために作った詩もあるよ」と愛する妻について書かれた詩を読み上げる、純情な青年らしさも見受けられる。

おそらくパターソンにとって、彼の送る「生活」そのものが彼の紡ぐ「詩(poem)」になっているのではないだろうか。見ているもの、触れているもの、感じていること。一見平凡で無味乾燥とした生活に思えるが、パターソンにとってそんな「生活」こそが豊かさの収斂だ。より便利で、より豊かな生活を追い求める私たちは、足元の小さな幸せに気付くことなく、無意識に踏み潰してしまっている。しかし本当は、日々の微々たる幸せに反応してひとつひとつ積み重ねていくことこそが、人生に色鮮やかな脚色を施してくれるのだ。

『秘密のノート』はある日突然、愛犬マーヴィンの手によってぼろぼろに破かれてしまう。パターソンは天変地異でも起きたかのような悲しみの表情を浮かべ、しばらく途方に暮れてしまうが、しかしそれで終わらないのが「人生」といったところ。観光に来たという日本人との一瞬の出会いによってパターソンはまた詩を書くことへの意欲が湧き、別れ際にはすっかり元の穏やかな表情を取り戻している。

人生は失敗と成功の連続であるが、歩み続けなければ失敗も成功も生まれない。パターソンはこのとき、いっそ部屋に引き篭もるという選択肢もあったはずだ。しかしそれでも「外へ出る」という行動をとったのは、きっと今までの彼が詩を書き続ける上で「そうしてきた」からこその選択だろう。

書き手という意味では私もパターソンも〈クリエイター〉に属する人間だ。クリエイターは常に新しい刺激を自身へ投じていくことが感性を育てる上で重要であるといわれるが、「パターソン」を観ると、どうやらそれが全てではないように感じる。

むしろ、刺激を投じていくばかりでは追い求めるハードルが上がり、不感症になってしまうのではないだろうか。

ここは一歩、初心にかえるつもりで、私たちもつつがない日々の小さな幸福を心の『秘密のノート』にしたためよう。一週間、一ヶ月、一年…普遍的な生活の中で感じる機微をとらえながら、言葉として記録していく作業こそが、感性を育てる最上の手法であり、いつの日か自分を救う一条の光になるのではないかと思う。

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『パターソン』映画.comページ

 

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