(by 安藤エヌ

やるせなさ、という感情について考えることが好きだ。

心が猛烈に締め付けられ、いてもたってもいられなくなる。なぜか。大抵はその「やるせなさ」は、抱いたところでどうにもならないことが多いからだ。

話題になっている中国のアニメ映画『羅小黒戦記』を観た。言いたいことは沢山あるのだが、登場人物の中で私にこの「やるせなさ」を覚えさせたキャラクターがいる。彼は風息(フーシー)といって、妖精と人間の共生をテーマにした物語の中で、人間を憎み、故郷を取り戻そうと行動を起こす立場にあった。彼と彼自身の迎えた結末に、私はとてつもない「やるせなさ」を覚えた。否定したり嘆くつもりもなく、ただ静かに受け入れ、彼の今までの人生を思いたくなった。

主人公は黒猫の妖精・小黒というキャラクターなのだが、まだ6歳という幼さゆえ、周囲のキャラクターが庇護を担っている。その人物こそが風息と、冒頭では敵対しのちに小黒の師父となる無限(ムゲン)なのだが、彼らは妖精と人間の共生について異なる信念を持っているため、相対する立場にある。小黒は彼らの間に立たされることになるのだが、ふたりとも幼い小黒に己の信念を押し付けたり、選択を迫ったりしない。幼い子どもに善悪の采配を握らせようとはしないのだ。ただ、優しく見守る。たとえ立場が別たれたとしても、小黒の中では変わらず「優しい人」のまま風息は在り続ける。

彼はひどく優しくて、人間を憎む前にも人間たちと森で交流をし、時には神として祠堂に祀り上げられ、そんな人間たちと一時は「共に暮らせる」と思っていた。しかし彼らが容赦ない自然破壊と文明の侵入を行い始めた時、その思いは憎しみに変わる。

つまりは、元々「人間に何ら感情を抱いていない」わけではなかったのだ。

そのことが、彼の複雑な胸中を表現するに足りる充分な説得力として機能し、そして彼の選択したこと、それが過ちであること、過ちのためにした贖いまでの道筋を一本の芯として見せてくる。その先に観客を待っているのは、彼への「どうしようもならない思い」である。私はこれに思いっきりしてやられた。映画を観終わってからというものずっと、彼のことを考えている。一度は人間に触れたことがあるゆえに、人間を憎み尽くし、残虐非道の限りを尽くす存在になれなかった彼のことを思う。彼は、優しい。それは、幼い小黒の心の中にもずっと変わらず在り続ける明らかな真実なのだ。

本作を手掛けた監督からのコメントによると、「風息は、仲間が人を殺すのを嫌ったから人を殺さなかった。殺すことはできたがしなかった」という。人の生死を握るに値する能力を持ちながら一人も人間を殺していないことや、終盤で特殊な能力が備わっている小黒に訴えた「お前は神になれるんだぞ」という発言が、かつて人間のあいだで自分が神として祀られていたことがあるからなのか、と考えられることからも、彼の中には確かに「人間と共にいた瞬間」のことが執着と裏表となり癒着している。

かなしい存在だ、と私は思う。かなしくて、美しくて、それでいてやるせない。彼の選んだ選択が間違いなのか正しかったのか、誰も分からない。しかしどちらかに委ねたくはない、とも思う。「答えは自分の中にある」と無限が小黒に語りかけたように、私たち観客の中にも、風息への思いはさまざまにある。そのどれもが、かけがえのない森の息吹きのような感情だ。

久しぶりに心震えるキャラクターに出会った、と感じる。キャラクターの人生を深く考えられる映画は好きだ。後引く余韻のごとく、私の心の中で生きる風息の頬を風がすり抜ける。その風は、森の緑は、いつまでもそこにいる。

++++
(C) Beijing HMCH Anime Co.,Ltd
『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)ぼくが選ぶ未来』映画.comページ

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でBadCats Weeklyをフォローしよう!