【エッセイ】半径2メートルに塩をまくように生きる

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肌寒い日の信号待ち。喫茶店の入り口に大きな盛り塩を見た。お茶碗一杯くらいの。驚きのあまりじっと見入ってしまっていたようで、ちょうど店先の掃き掃除をしていた奥さんと目が合った。

「これ、おはらい用ですか?魔除けとか、そういうの?」
一度気になると知らない人にも話しかけてしまう、我ながら厄介な距離感バグ人間だ。奥さんは困ったように「う~ん」と首をひねって、でも悪い感じの反応ではない。
「それともイヤなお客さんが来ないように、とかですか?」
奥さんは笑って「全部かなあ」と答えた。実のない話を遮断するように信号が青に変わった。

玄関に塩をまくと邪気を寄せ付けないと昔から言われてはいるが、人々がただの塩にそこまでの信頼を寄せていることを今さらながら不思議に思う。
悪霊も不景気も嫌な客も、家の中に流れ込まないように塩をまく。もしもこの文化が受け継がれていかなかったら、未来人に「あのお皿の上にあるの何?え、塩?ウケるんですけど」と笑われやしないだろうか。

とはいえ私も家の中に悪い要素は何ひとつ入れたくはない。それがなぜかと考えてみると、やはり家の中には自分の大切にしているものが多くあるから。「財産」といった具体的な価値も在るし「安全」という抽象的な価値も在る。

大切なものを邪気から守るために塩をまくなら、私が今最も守るべきものは何だろう。そう考えた時、突然大きな不安に襲われた。最も守るべき大切なもの――「私」自身は大丈夫なのだろうか?
塩のまかれていない道をこうして歩いている自分の体が、妙に危険にさられているように感じられて一気におそろしくなったのだった。



喫茶店の奥さんが口にした「全部かなあ」はきっと面倒な質問を交わす最適な返答だろうけど、私はこの返答にこそ塩をまく行為の本質がある気がする。
というのも、「全部」という言葉をそのまま受け取るのであれば、おはらいも魔除けも嫌な客を遠ざけるのも全て「自分に関係がある」と捉えているのではないだろうか。

近年SNSではタレントの不倫や失言に憤る人をよく見かけるが、私はそのたびに「どうしてそんなに怒るんだろう?自分に関係ないのにな」と感じていた。関係ないのだ。あなたの生活にはひとつも。

「私」が「私」を守るために、この「関係ない」という意識をよく使うようにしている。同僚の仲違いも友人の破談も、「自分の近くで起きている」ものの「自分には関係がない」。

全てを「自分ゴト」と受け取ってしまっては多方面からストレスを食らってしまうし、自分には動かせようもない事態について思考時間を費やしてしまう。だからこそ「よし、私は関係ないぞ」と言い聞かせ、周囲に漂う悪意の数々を拾わないようにしている。

それが私にとって「塩をまく」に代わる自分自身の守り方なのだろう。



情報過多なこの時代、指先ひとつでその日の気分を振り回されることがある。
そうならないために、これからは目の前の問題を解決してプラスに変える力よりも、ハナからマイナスを取り入れない力が必要なのかもしれない。そんなことを考えながら帰路についた平日の夕方だった。

「同じ世界を生きること」と同時に「上手く住み分けること」。他者と共に生きる上で大事なのは、これらのバランスなのだと思う。

他人のアレコレを「自分ゴト」として吸収しすぎてしまう人に伝えたい。どうか、あなたはあなたの日常を大切に。
大切な自分に嫌なものを寄せ付けないために、「塩をまく」に代わる方法をそれぞれが持つべきなのかもしれません。

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画像提供 by 檜和田真弓

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