【エッセイ】だれも知らない誕生日

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(by 冬日さつき

八月のおわり、多くの人が「もう夏もおわったな」とつぶやく。わたしはいつも心の中でそれに反論している。わたしの誕生日がおわるまでは、夏はおわらない決まりなのだと。勝手この上ないルールだけれど、これはずっと前からそうなのだ。

小学校のころから誕生日がなぜか偶然登校日になることが多かった。わたしはとにかくそれがいやだった。友だちはみんな、わたしの誕生日なんて知らない。

誕生日なのに学校へ行かなくちゃいけないなんて。これはわたしにとっての特別な日なのに。幼いわたしは、まだじぶんがスペシャルな存在であると疑いもなく信じていた。夏休みに誕生日があると知られると、ときどき「友だちに祝ってもらえなくてさみしいね」と言われることもあった。けれどもいちばんさみしいのは、友だちを目の前にしてもだれにも祝ってもらえないことに決まってる、そうおもっていた。

そうして登校日になった誕生日にいつも通り学校へ行くと、黒板に「誕生日おめでとう」とカラフルなチョークで書かれているのを見つける。でもこれがじぶんのためのものではないことに、わたしはすぐ気がついた。勘違いをして、「いつ知ったの?」ととぼけた顔をしながら、ありがとうとだれかに言うこともなかった。すぐ後ろから別の女の子にたくさんの人が群がり、きゃあきゃあとおめでとうと祝う声が響く。すべてわかりきったことだったとしても、その瞬間、じぶんがどんな顔をしているかは考えたくなかった。

たぶん、ここでわたしが「わたしもきょう誕生日なの」とだれかに言ったら、わたしも同じように祝ってもらえただろう。「どうして言わなかったの?」と怒ってくれる人もいただろう。そもそもだれにも誕生日を教えていないのだから、これは当然のことだった。でも、わたしは「教えたのに祝われなかった」と悲しくなるのを避けたくて、だれにもじぶんの誕生日を告げることはなかった。勝手に期待をして、傷つきたくなかったから。

年を重ねるにつれてどんどんじぶんの誕生日の特別感なんて薄れていく。誕生日に会社へ行き、だれもそれを知らないなんてもう当たり前のことになる。そしてわたしもだれかの誕生日を知らずに過ごしている。それでも、幼いあの頃に考えていたことは、今でもわかる。だれか、家族以外の友だちが、どこからか情報を入手してきた人が、わたしがさりげなく自らの誕生日に言及したことを忘れずにいてくれた人が、わたしを驚かすように祝ってほしかった。どこまでも自分勝手ではあるけれども。

あのとき同じ誕生日の人を目の前にして「わたしも誕生日なの」とあっけらかんと言えるようなじぶんだったなら。もうすこし図々しく生きることに躊躇がなかったら。どんな人生を歩むことになったのだろうか。今の人生を嫌っているわけではなくても、なかった未来を想像してしまう。でもそれはほとんどわたしじゃなくなるだろう。

勝手にだれかに期待をしてしまうことは、大人になっても、ほんとうによくある。ポジティブな人でいる条件に「人に期待をしない」という項目が入っているのを見るたびに、わたしはじぶんの誕生日のことを思い出す。傷つくことを恐れながら、じぶんは決して行動をせずに、だれかが何かしてくれるのを待ち続けていたときのことを。

今となってはそれが良いことではないことにはっきりと気がついている。状況を変えたいのならば、自らが動かなくてはいけない。じぶんの人生を、どこまでも他人のせいにはできない。だれもその責任は取ってくれない。「わたしも誕生日なの」とはまだ言えないかもしれないけれど、大人になったわたしが再び過去に戻ったとしたら、じぶんらしいほかのやり方を、考え方を、きっと教えてあげられる。大人になるって、苦しいだけじゃない。

悲しかった夏休みの登校日は、今でもわたしにメッセージを送り続ける。そのメッセージを受け取って、わたしは今年も誕生日を迎えるだろう。

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(イラスト by kotaro

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この記事を書いた人

校閲者、物書き。

新聞社やウェブメディアなどでの校閲の経験を経て、2020年フリーに。小説やエッセイ、ビジネス書、翻訳文など、校閲者として幅広い分野に携わる。「灰かぶり少女のまま」をはじめとした日記やエッセイ、紀行文、短編小説などを電子書籍やウェブメディアで配信中。趣味のひとつは夢を見ること。

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