【エッセイ】「お金に困る」の定義

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(by こばやしななこ

先日、母と電話をしていたら
「私たちお金に困ったことってないよね」
と言われた。

「そうだっけ?」
と返さずにいられなかった。
けっこう困ってきたと思うけど。

私が人生で一番裕福だったのは、4歳あたりだ。大企業に務める父と、主婦の母と暮らしていた。私は幼稚園に通いながらクラシックバレエを習っていて、母はいつも綺麗な服とアクセサリーを身につけていた。

親が別居し母と二人暮らしになると、私は保育園に通い、母は働き始めた。小学5年で祖父母の家に居候する生活になり、高校生になる頃、2DKのアパートにいき着いた。

私が高校3年の時、母は朝から化粧品を売り、夕方帰宅すると夕食を作り、夜は私の通学用自転車で近所のスナックに働きに出ていた。深夜2時くらいに帰ってきた母は、私のお弁当を作ってから眠る。私は朝起きると冷蔵庫に入ったお弁当を持って、寝ている母を起こさないように家を出た。

すべては、私の大学の学費を用意するためだ。私には東京で大学生活を送ることがとても重要で、「身の丈にあった進路」を選ぶのはどうしても嫌だった。後ろめたさを感じさせる、うちの経済状況を呪っていた。

だからうちは散々お金に困ってきたと思っていた。しかし母にとってあの時代は、お金に困ったうちに入らないらしい。母によると、母の母で私の祖母・恭子こそが、お金に困った人なのだ。

恭子の祖父は財をなした網元で、地域一帯の土地を持っていた。

一族は派手にお金を使いながら生活していたが、その富は長くは続かなかった。恭子が子供の頃、うちの船が他国の水域で漁をしているところを見つかったのだ。捕らえられれば、どうなるか分からない。船員たちは、網を回収する間もなく命からがら逃げ帰ったらしい。

商売道具を失った我が祖先は破産し、一族は財と土地を手放すことになった。

生活水準というものは、上げるのはたやすく下げるのはとても難しい。我が一族は下げることができなかった。恭子を含む4姉妹は、借金をしてでも食べ物と着るものにはお金を惜しまず、華やかに生活するよう育てられてしまった。

大人になった恭子はいつも、ツケで収入に見合わない買い物をしていた。母の子供時代は、しょっちゅう店の人が集金に家に来ていたらしい。私の母は集金が来るたび「お母さんはいないと言っておいで」と恭子の居留守に加担させられていた。滞納に滞納を重ねた末、集金に来た人に「家の人が帰ってくるまで待たせてもらいます」と玄関に居座られ、困り果てた母の気持ちを想像すると不憫で仕方ない。

サラリーマンである夫の収入では満足する生活ができない恭子は、自分で人一倍働いた。近所の女性たちを家に呼びよせ、生地を選ばせ、それぞれに合った服を仕立てた。恭子は天才的に器用で、センスが良かった。魚を売る仕事も掛け持ちした。お金が入ると家を増築したり(実家は増築した2階だけやけに豪華だ)よそへ大盤振る舞いしてしまうので、どれだけ稼いでもお金はたちまち泡と消えた。

母が私の出産のために一時帰省した時にも、恭子は借金をしていた。「妊婦の私がなぜか、実家の生活費を全部払ったのよ」と母から恭子の非難を聞いたことがある。

恭子を反面教師にした母は「ないお金は使わない」と「身の丈に合った生活」を徹底した。母にとっては「ないお金を使ってしまい、その返済ができなくて困る」ことが「お金に困る」の定義なのだ。

私は祖母の遺伝子が強いのか、贅沢が好きで、お金が入ってくれば浪費してしまうところがある。それでも「ないお金を使うな」という母の教えを守ってさえいたら、なんとかなると思っている。金欠の時は30円のパンの耳をたくさん買って、冷凍したものを少しずつ食べた。今だって収入がなくなれば、生活水準を落とす覚悟はある。そんなことで私は不幸にならない。

おかげで今のところ、分割支払いにも消費者金融にも一度も手を出さずにこれている。たしかに母の定義に従えば、私はお金に困ったことなど一度もないのだった。

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画像:写真ACからsaki.zakiさんによる写真

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この記事を書いた人

こばやしななこのアバター こばやしななこ サブカル好きライター

サブカル好きのミーハーなライター。恥の多い人生を送っている。個人リンク: note/Twitter