(by みくりや佐代子

想像はフィクションである。想像と実際は別物である。

けれど真下みこと著「#柚莉愛とかくれんぼ」は小説でありフィクションであり、現実である。「矛盾しているじゃないか」という声も聞こえてくるが、まさにその「矛盾」がスピード感をもって鮮やかに描かれているのが本作の見どころ。第61回メフィスト賞受賞作と聞き、さぞかしアクが強いんだろうという覚悟で読み始めたが、読了後に残ったのは違和感ではなく今まさに私たちの隣でも同じことが起きているのだという純度の高いリアリティだった。

メジャーデビューを目指す地下アイドルの柚莉愛と、柚莉愛を思うようにコントロールしたいファン――それはもうほとんど「アンチ」と呼ぶ方が自然の――の、2つの視点で物語は進む。柚莉愛は運営側の大人たちに炎上商法(わざと反感を買うプロモーション)を強いられ、それを機にアンチの言動も過激になっていく。SNSをとりまくその模様は、現在の私たちの生活からかけ離れていないごく身近な光景と同じように思えた。

文中では「炎上」が作られる過程が見事に可視化されている。ただの火種から煙がのぼっているように見せ、ただの煙から山が燃えているように見せる。現実世界でもそうだ、あなたが見ているその「火」は本物だろうか?確かに赤く、パチパチと音が鳴り、近づくと熱い……けれどよく見るとそれはまだ燃焼反応の起きる以前の火薬の欠片で、燃え盛る炎は虚像かもしれない。

物語の後半では見ていた景色がガラリと変わる。もしも脳内で映像化しながら読み進めていたのなら、高速で巻き戻しをしないといけなくなるだろう。けれど再読するとそこに読み手を招く嘘は一つもない。いかに読者が勝手に行間を都合よく埋めているかを思い知ることになるはずだ。

本作を通して感じたのは「人間は他者のごく一部しか見ることができない」ということだ。人はみな、他者の「生まれてから現在まで」の全てを見ることは絶対にできない。我が子や配偶者でさえも。

それなのに生活の一部分を見ただけで理解したような気になって、相手の人物像を把握したものだと勘違いしている……それがどれほど軽率なことかを本作によって思い知らされる。

つまり私たちが他者を知る時、脳内では無意識のうちに断片的な記憶を繋ぎ合わせてそこに身勝手な主観を加え、「こういう人だ」と一方的に認識しているのだ。蓋をあけてみると右側から見れば善人でも左側から見れば悪人、目の前のそれが真実であるかどうかも定かではない。

もう一度言う。「想像はフィクションである」。本作を読んだ今、誰がそう言い切れるだろうか。

果たしてあなたの恋人はあなたを愛してる?本当に?あなたは相手の人生の一部しか知らないし、一週間のうちの数日、一日のうちの数時間しか見ていない。それでもあなたは恋人の全てを知り尽くし、2人の愛はここに実在していると言い切れるだろうか。

私たちは断片的な記憶に都合の良い想像を補完して、ミスリードに気づかぬままに生きている。されば自分の認識も真実には到底及ばないフィクションであり、目の前の人物もフィクションであり、ひいてはこの世界はフィクションなのである。

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真下みこと『#柚莉愛とかくれんぼ』Amazonページ

 

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