【名画再訪】『her~世界でひとつの彼女~』から見る近未来的で原始的な愛の形

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「愛してる」だの「そばにいて」だの、恋愛には言葉がツールとして用いられることが多い。指輪というただの金属が「結婚しよう」という台詞によってプロポーズとみなされ、音楽でも甘い歌詞をもってしてラブソングだと認知される。言葉は道具であり、介在物だ。

あくまで言葉を操る「人間」に恋をするのが通念な世界で、「人間」ではなく「言葉」そのものに恋をすることなんてあるのだろうか。

舞台は少し先の未来のロサンゼルス。主人公のセオドアは妻のキャサリンと別れ、傷心の日々を送っていた。手紙の代筆の仕事をしている彼の姿は、どこか言葉を適当に操り作業をこなしているようにも見受けられる。そんな時、世界初の人工知能型OSであるサマンサと出会う。知識もユーモアも豊富なサマンサと会話を重ねるうちに、セオドアは見るもの聴くもの、ついには性的感情をも彼女と共有し、彼女がAIだと分かっていながら惹かれていく。

サマンサの言葉はあたたかい。実在する女性よりもセオドアを理解し心に寄り添って、彼の傷ついた心を癒してくれる。映画を観ている私の目にすら、セオドアの肩に頭を乗せ身を委ねるサマンサーーそんな2人の「人間」の姿が浮かぶようだった。セオドアの耳元で囁かれる、サマンサのぬくもりある言葉。SNSでは言葉は刃であると騒がれている昨今だが、精神的に回復していくセオドアを見て純粋に思った。人を癒やし救うのもまた「言葉」なのだと。

しかし、幸せな日々は長くは続かない。実在する女性の体に触れた際心が拒んでしまったことをきっかけに、セオドアはAIと育む愛の在り方の限界を意識するようになる。さらにセオドアはサマンサの真実を知り、彼女が人間ではなくAIであるという事実を改めて思い知ることとなった。

皮肉なことに言葉は「愛」ではなく「情報」だった。優れたAIが検出した、彼に最適の。

これは私たちにかけ離れた非現実的な物語だろうか?私はそうは思わない。私たちが自然だと思っている恋愛においても、蓋を開けてみれば相手の生きてきた環境や外見の好みなど数値化して情報として得ているはずだ。同じように情報にとらわれている私たちが彼らの恋を笑うことなんて出来ない。

結果的に、二人は愛をもって決別した。二人の間には確かな「言葉」があったが、姿かたちを持たないサマンサの生きる世界は、セオドアのそれとは交わらなかった。

現在、全世界で感染症拡大防止が叫ばれるという異例の事態に直面した私たちは、試行錯誤の末に遠く離れた人との交流やテキストでのコミュニケーションがオンラインで成立できることを証明しつつある。言葉が「情報」であるならば、物理的なものを取っ払って愛を育めてしまう未来もあるのかもしれない。

ただこの映画から分かるのは、言葉の限りない尊さと、それでも言葉だけでは共存できないという皮肉な事実だった。だからこそ私たちは、愛する人に手を伸ばすのではないだろうか。恋人や我が子の肌に触れ、その上に言葉を乗せるのではないだろうか。そう考えると「AIとの恋愛」という近未来的なこの映画が、実に原始的なテーマを孕んでいるように感じた。言葉は愛する人への贈り物であり、まるで愛する人が同じ具象の世界にいることを確かめあうように人は触れ合うのかもしれない。

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(C)Photo courtesy of Warner Bros. Pictures
映画『her/世界でひとつの彼女』allcinemaページ

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