(by みくりや佐代子

自分に最も無縁な動詞は何だろうかと考えた時に、真っ先に浮かんだのは「闘う」だった。

生まれてこの方、武闘には縁がない。元ヤンキャラのバラドルが話す「嫌いな奴をタイマンでボコりました」などというエピソードトークを前にしても、一ミリも笑うことなく驚いて目を丸くしてしまう。大好きなアメトーークもプロレス関係だったら見ない。

そんなバイオレンスな話題がからっきしダメな私が、息をする暇もなく見入ってしまった映画がある。安藤サクラ主演の「百円の恋」だ。

自堕落な生活を送っていた引きこもりの女性・一子がボクシングと出会い、たくましく成長を遂げていく姿を描いた本作は、安藤サクラの女優としてのポテンシャルを知らしめその後の飛躍をおし上げる作品となった。

心と体が連動していない時期があった。私の話だ。脳を動作させて行動を決めている感覚がなく、心はどこかに置いてきたように体だけが動いた。煙草を吸っては今何本目か分からなくなったり、最後に食べた食事が昨日の昼だったか夜だったか忘れたりした。

その頃の私は体だけが仕方なしに「生きる」を真似た動作をしていた。それはさながら、「百円の恋」の冒頭の一子のように。

心を動かさずに生きることは、思ったよりも簡単なことかもしれない。生活のための最低限の動きは無意識にできてしまう。だから人は意外と死なない。

だから映画の中で一子がボクシングに目覚め、何かを振り切ったように練習に打ち込んでいく姿を見て、一子の体に心が宿ったことを強く感じた。何も考えず体だけが生きていて恋愛もアルバイトもうまくいかなかった一子の生活が、心をもってして勢いをつけて転がり始める。

一子はプロテストを受け見事合格、映画のクライマックスでは初試合に臨む。家族や元恋人も見に来ていたその試合で一子は殴られても殴られても食らいつき、必死でもがいた。「闘う人」がそこにいた。

しかし結果は惨敗、リングの上にあったのは口と鼻から血を流し顔の腫れあがった一子の酷い姿だった。白目を剥いて横たわる姿を見て、私は一子の体から再び心が抜けてしまうのではないかと息を呑んだ。努力を結果に繋ぐことができず、意地悪な神様に魂ごと持っていかれてしまうのではないかと。

けれど試合の後、一子は元恋人に向かって「勝ちたかった」と泣きわめいた。ぼろぼろの傷だらけの体で叫ぶその姿は情けなくてみっともなくとも、そこにはちゃんと心があった。悔しいと思う心で、一子はちゃんと動いていた。

一子はもう「大丈夫」なんだ。

「体は心で動く」。体は心を起点に動くのだということを、一子の闘う姿を通して思い知らされた。心で何も感じず体が動くだけでも生きることはできる。けれど心が伴ってこそ、人は人間らしくなりうる。

今、私の体は心を起点に動いているだろうか。自分自身を重ねてそう問いかけた。時には傷ついてもいいから、心をもってして体を動かしていたい。一子の変わっていく姿、リングの上で闘う姿を通して、私自身もより能動的に生きたくなる。そんな衝動に突き動かされた作品だった。

++++
(C)2014東映ビデオ
映画『百円の恋』allcinemaページ

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でBadCats Weeklyをフォローしよう!