【猫エッセイ】人生でいちばん美しかった桜 ~愛猫との別れで、遺影となった写真に思うこと〜

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(by 安藤エヌ

以前のエッセイ「私と猫と、愛のこと」で、私がとても猫を愛していることを書いた。

あれから半年ほどが経った。愛猫マイケルが、桜の咲く3月に享年20歳で亡くなった。家族も驚くほどの大往生、我が家で看取られながらの最期だった。

マイケルは腎不全で、数年前から体重が減り続け痩せていったのだが、亡くなった時の状況からその理由に病気は考えづらく、おそらくは老衰だろうという考えに至った。とはいえやはり若かった頃を思い返すと辛いほどに元気を失くしてしまい、亡くなるつい数日前までご飯も食べていたのが、よろよろと覚束ない足取りになってから急激に体調を崩し、そのまま回復することなく旅立ってしまった。

初めて目の当たりにした愛猫の死に際に、数日間ずっと思い出しては激しく泣いてしまったが、看取る瞬間は思っていたより冷静に、しっかりと彼の瞳を見て臨むことができた。というのもやはり、数年前からそろそろだろうという覚悟が出来ていたのと、マイケルはもう十分私たちに愛されてくれたし、生を全うしてくれた、苦しい時に助けてもらった恩返しをするなら今だ、と思い世話をし続けてこれたからかもしれない。

彼はとても優しく、賢く穏やかな猫だったので、神様がそうさせてくれたのか、桜の咲くあたたかな春の日に苦しむことなく亡くなった。きっと、彼自身も願ってこの日に亡くなったのだと思い、やはり本当に素晴らしい猫だった、と家族と思い出話をしながらその後を過ごしている。

今回のことで、運命的だと感じたことがあった。それは彼の遺影となった写真についてだ。

亡くなる数日前、私は突然「マイケルを桜を見せてあげたい」と思い立った。その時はまだ彼もいつも通り過ごしていたので、私は母にそのことを話した。

母は「よし、そうしたら近所の桜並木まで一緒に行こう」と言ってくれた。そうして母と私はマイケルを自転車のかごに乗せ、近所に咲く桜を見に行った。

私は母に彼を抱いてもらい、数枚写真を撮った。彼はどこか目を細めて気持ちよさそうにしていた。すぐそばで薫ってくる桜の匂いを嗅ぎ取っているようだった。それからしばらく、自転車を押して散歩道を2人と1匹で歩いた。風に攫われて舞い散る桜が、マイケルの上にはらりと落ちてきて、「きれいだね」と言った。

本当にきれいで、私は堰を切ったように涙が止まらなくなった。今思えば、その時に何かを予感していたのかもしれない。この瞬間はきっと忘れられないものになる、これから先、ずっと胸に抱いて大切にしたくなる。そんな思いが私の中に芽生えていた。

瞳の奥に焼きつくほど美しい、穏やかな春の夕暮れだった。

その日から数日後、マイケルは天国へと旅立った。撮った写真はそのまま遺影となり、家に飾ってある。

この出来事をきっかけにして考えるのは、写真というものの力だ。二度と戻らない一瞬を閉じ込めることのできる写真を日常的に撮っていたことで、私に何かお告げのようなものがはたらき、マイケルの生前の姿を遺すことが出来たのではないかと思い、こんなにも写真を撮っていて良かったと思える日はないと心から思った。桜を嬉しそうに見つめる彼の写真を最後に遺せたことは、私にとって一生忘れ得ない思い出になったし、きっと、この出来事があったからこそ、彼の死に対しても悔いを残すことなく、幸せなまま見送ることができたという気持ちで受け止められたのだと思う。

写真を撮る、ということは私にとって単なる趣味ではない。愛する人、愛するものたちへの思いを閉じ込めるため、そして見返した時にいつでも思い出せるよう、そこに在るありのままの美しい光景にシャッターを切る。私の生きがいであり、マイケルのことを通してきっと一生好きでい続けるであろう、自分の心を投影するための表現方法になった。

これからも美しいと感じた瞬間を写真に撮り、生きていきたいと強く思う。マイケルを愛した日々が、私の中でアルバムになっていつでもページを開けるように、写真たちは私の心に生き続ける。

今年の桜は、私が生きてきた今までで一番きれいだった。

さよなら、そしてありがとう、マイケル。ずっと忘れないからね。

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写真提供 by 安藤エヌ

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この記事を書いた人

安藤エヌのアバター 安藤エヌ カルチャーライター

日芸文芸学科卒のカルチャーライター。現在は主に映画のレビューやコラム、エッセイを執筆。推している洋画俳優の魅力を綴った『スクリーンで君が観たい』を連載中。
写真/映画/音楽/漫画/文芸