(by こばやしななこ

気が滅入る日々の中で、私に心の平穏を与えてくれるのは「おいしい食べもの」だ。例えばそう、ハーゲンダッツ。私にとって、ハーゲンダッツはちょっと贅沢で最高に幸せな食べ物の象徴だ。

お金のなかった大学時代、たまに買うハーゲンダッツが楽しみだった。

私の住んでいた1Kのアパートは坂の上にあって、買い物は坂のふもとにあるスーパーへ行った。ある日、ハーゲンダッツを買った私は胸を高鳴らせ自宅へ急いだ。早く食べたい。家まであと数メートルのところで、痺れを切らしてハーゲンダッツを買い物袋からだす。「あ」と思ったとたん、それは私の手からこぼれ落ち、坂をコロコロと転がり落ちて行った。私は反射的に、転がるハーゲンダッツを追いかけた。無我夢中でダッツを追う私。加速するダッツ。身を低くし尻を突きだしながらダッツを追って坂を駆け下りたこの時、私は人間の尊厳を少し失った気がした。やっとのことでそれを捕まえた私は、自分の食い意地を呪った。

ハーゲンダッツのために、もっと危ない思いをしたこともある。

あれは12歳の冬だった。週に1回通っていたピアノ教室が終わると、母が車で迎えに来た。その日、迎えの車に乗った私は「ハーゲンダッツのバニラでコーラフロートを作りたい」と母に告げた。きっとレッスンの半ばから、頭は「ハーゲンダッツのコーラフロート」でいっぱいだったのだと思う。

さくらももこ氏のエッセイに、コーラフロートについて書いたものがある。詳細は確かではないが、レディボーデンのアイスクリームで作るコーラーフロートが至高だという内容だった気がする。私はそれをハーゲンダッツに脳内変換して読んでいた。初めてハーゲンダッツのコーラフロートを作った時、それは私の大好物になった。

口いっぱいに広がる濃厚な甘さと、バニラの香り、シュワッとした喉ごしを想像して、すでにコーラフロートの舌と喉になっている。

迎えに来た母は財布を持っていなかった。財布がないくらいで、一度火のついたコーラフロートへの欲望はおさまりがつかない。そこで、車を家の前に止めてもらい、私が財布をとってくることになった。

家の前の通りは道が狭く、車を停めている間にもし他の車が来てもすれ違えない。一刻も早く財布をとってこなければ。私はダッシュで車を飛びだす。玄関に靴を脱ぎ散らかすと、財布のある二階の部屋を目指し、急勾配の階段を駆けあがる。

途中、階段を駆けあがっているはずの体がふわりと浮いた。

背中から落ちていくのを感じ、次の瞬間、私の体は左半身を下にして床に横たわっていた。階段から足が離れ、ポロっと落ちたのだ。「こんな階段の落ち方もあるのだな」と思った。左半身が下になっているのは、とっさに体を捻ったのだろう。

玄関前に停めた車から、私を呼ぶクラクションが聞こえる。試しに「助けて!」と叫んでみたけれど、母には届かない。仕方なくゆっくり身を起こすと、左腕に痛みを覚えた。折れているのかもしれない。右手で左腕を固定すると、私はなんとか外にでた。

そのまま整形外科に連れて行かれると、私の左腕は脱臼していた。

整形外科医のおじさんは、骨の位置を元にもどすと言って、私の左脇に自分の足を入れた。「こんな原始的な治し方するのか」とかなり大きめの不安が私を襲う。プロレス技をかけられるみたいだ。しかし、おじさんが思いっきり私の左腕を引っ張ると、すべての感情は激痛で一気に吹きとんだ。雄叫びをあげる私と、私の腕を全力で引っ張るおじさん。脱臼した人はみんなこんな治し方をしているのか?

こうなると、「心に平穏」どころか心も体も大混乱だ。だが、ハーゲンダッツのコーラフロートは、こんな思いをしてでも手に入れたいほど特別なものなのである。

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