(by 蛙田アメコ

◆食べることが好きすぎる
食べることが好きだ。料理することが好きだ。
材料を洗って、切って、煮炊きして、自分のための自分の食事を用意することが好きだ。

たぶん、料理や食事は自分にとって「自分の機嫌を取ること」なのだと思う。好きな食材で、好きな調理法で、好きな量を作って食べる。これほど人間的な営みもないと思う。

自分だけが食べるなら、食事はとことん手を抜いてしまう……というタイプの人もいるようだ(そして結構な多数派らしい)。けれども私は正反対。
他人のために作る食事よりも、自分ひとりのために作る食事のほうが好きなのだ。

かつて結婚していたときには、「自分が作るもののついでに他人にも分け前を与えてあげる」という認識だった。結婚生活が上手くいかないのも納得の自己中心的価値観だ。

けれども、ひとつ弁解させてほしい。
私は食べることが好きすぎるのだ。ご飯に向き合って、おいしく食事を仕上げたい。それで、おいしく食べたい。
だから、私と食事の間の蜜月関係の間には、誰にも割り込んで欲しくないのである。

◆ランチくらいは独りで食べさせてくれ
独りで食べるご飯は美味しくない。ずいぶんと使い古された言い回しである。この言葉の対になるのはたいがい、「誰かと食べるご飯は美味しいね」とか、あるいは「あなたと食べるご飯は美味しいね」とか。私はこれに、同意できない。少なくとも私にとって、独りで食べるご飯は美味しい。たぶん、誰かと食べるご飯よりも。

ものを食べるというのは人間にとって根源的な行為だ。
人間は(建前上は)社会的な動物であるからして、その根源的な行為である「食事」というものにも社会的な意味をつけたがる。会食、ランチミーティング、宴会、それから少し前にはパワーブレックファストなる朝食がてらのミーティングも提案されて、ちょっと流行った。こうして挙げてみると、「食べること」と「人と繋がること」は社会の中でずいぶんと結びつけて考えられている。
けれども、どうしても私は言いたい。
――ランチくらいは、独りで食べさせてくれ。

味わいたいのだ、食材を。
集中したいのだ、食べる順番に。
楽しみたいのだ、独りの時間を。

食事というものに対して、そこまでのこだわりがない人からすれば、食事とミーティングを一度に済ますことができるというのはお得なのかもしれない。けれど私はそうではない。政治的な主張等は一切抜きにしても首相動向を見るたびに「毎晩会食が行われるなんて、一国の首相は大変だな……」と思う。シンプルに、そう思う。

◆私のためのお弁当箱
さて、在宅勤務である。テレワークである。
そんな中でも「ランチくらいは独りで食べたい」という気持ちは不滅だ。
一人暮らしの自宅で仕事をしているにもかかわらず、ランチは独りで食べたいと思う……不思議なことだけれど、偽らない本心だ。チャットやテレビ通話でいつでもどこでも仕事ができる今、ランチを独りで食べることが非常に重要な生存戦略だ。全部から離れ、私と食事だけの「空間」が必要だ。

そこで、在宅勤務中のルーティンに登場したアイテムがある。
「お弁当箱」である。お弁当箱は宇宙だ。おかずとごはんをお弁当箱に詰め込めば、いつだってどこでだって食べられる、私だけのためのランチが完成する。
小さな箱の中、自分が好きな味付けの自分が好きな食べものが詰め込まれている。それを、デスクの前から離れて、ちゃぶ台なり廊下なりベランダなり床なりに座り込んで黙々と食べる……これが、在宅勤務中の「ランチくらいは独りで食べさせてくれ」への答えだ。

朝作ったお弁当を、部屋から一歩も出ないままランチタイムに食べるとき、なんとなく「朝の私、ありがとう」という気持ちになる。
お弁当箱という箱に詰まった瞬間に、過去の私がランチタイムの私のために作った食事になる感じ……といったらいいだろうか。

なるほど、「誰かのため」の最小単位は「私のため」なのだ。そんなことを思いながら、明日の弁当の献立を考えて、眠り、起きたらまた少し未来の自分のための弁当を作る。弁当箱はシンプルなものがいい。曲げわっぱの大きな弁当箱もいいし、ジップロックにレトルトカレーを詰めて、漬物を添えてもいい。

味わいたいのだ、食材を。
集中したいのだ、食べる順番に。
楽しみたいのだ、独りの時間を。

――独りでいただく食事は、かくも美味しい。

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画像:nancysdesignさんによる写真ACからの写真

 

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