(by こばやしななこ

渋谷駅。京王井の頭線とJR線をつなぐ通路に、岡本太郎氏が作った壁画が飾られている。高さ5m以上、横幅は30mもあるその作品のタイトルは『明日の神話』だ。

大学に通うため、田舎から初めて東京にでて来た日に目にした『明日の神話』のことは、ちょっと忘れがたい。

地元を発った夜行バスは、11時間かけて品川のバスセンターについた。朝6時すぎの東京の空はどんよりと曇っている。それでも、東京の気候は地元よりあたたかくて、ほのかに気持ちが高揚した。

私の新しい家は、京王井の頭線の「東松原」が最寄りのアパートだ。むろん、それがどこなのかは、よくわかっていなかった。品川から電車に乗り、渋谷で1度だけ乗り換えをすればいいらしい。母がプリントアウトしてくれた電車の乗り換え案内の紙を握りしめ、私は「東京の電車」に乗った。

かの有名な山手線に揺られ、あっという間に品川から渋谷につく。

渋谷か。渋谷はさすがに知っている。マンガ『GALS!』の舞台だし。私、本当に東京に来たんだ。

山手線を降りると、JR線の改札をでて、駅の表記を頼りに京王井の頭線の改札へむかう。田舎者っぽく見られないよう、目一杯すました顔で歩いた。まだ7時前の渋谷駅は人もまばらで、私の顔を見る人なんかほぼいなかったけど。

JR線と京王井の頭線をつなぐ通路は片側がガラス張りになっていて、そこから駅前のスクランブル交差点が見下ろせる。早朝のスクランブル交差点には、全く人がいなかった。私は、静まりかえった景色を眺め、「渋谷ってこんなに人がいないんだ。テレビで見た渋谷は全くのうそだった」と思った。

通路の反対側に目をやる。反対側にあるのは『明日の神話』だ。巨大で強烈な……なんだ、これは。ハチ公像やモヤイ像や109があるのは聞いていたけれど、これは聞いてないぞ。

黒っぽい背景の中で、巨大な骸骨が燃えていた。骸骨と言っても、まだ人間の感情を宿した人間の体って感じだ。その人は、苦しんでいるようにも、踊っているようにも見える。下の方で、小さな黒い人々も燃えている。核で焼かれる人間をモチーフにした絵なのだと、その後どこかで知ったが、知る前から、そのようなことを意味する絵だとすぐに分かった。私はそのまま、しばらく壁画を見上げていた気がする。

初めて見た『明日の神話』は恐ろしく、重たすぎた。渋谷ってもっと楽しい場所だと思っていたのに。

「なんでこんなところに、こんなもの飾ってあるの。嫌だな」

心を思いっきりゾワゾワさせながら、私は京王井の頭線の改札へはいった。

それから何度となくその場所を通った。いつしか『明日の神話』がそこにあることが当たり前になり、当たり前すぎて、あることすら忘れてしまった。

引っ越しをしても、私は相変わらずおなじ路線沿いに住み続け、大学を卒業すると恵比寿にあるI T企業に就職した。会社に行くために、毎日『明日の神話』の前を通って電車を乗り換えた。

幼い頃から学校も休みがちだった私が会社に通うことは、思った以上にハードだった。心身をすり減らし、会社員をしていた3年間で、3回くらい血尿がでたし、体重は減り続け、頭痛や吐き気がない時の方が珍しいくらいだった。

ある日の仕事帰り、疲れ切った私は、JRの改札をでて京王井の頭線にむかう途中、そこにあることも忘れていたはずの『明日の神話』に目を留める。

まじまじと見たのは、いつぶりだろう。その絵は、ヨレヨレの私にはあまりにも力強かった。力強すぎて涙がでそうだった。炎に焼かれる骨は、生きていた。

その時やっと、その絵が「悲惨さ」だけを表しているのではないと、ちゃんと自分の感覚で理解できた。何度となく過ちを犯しながら、原爆が落ちても、原発が爆発しても、人間は続いている。どんな悲惨なことが起きたって、世界がただ絶望だけになることはない。胸いっぱいに、大きな感動がこみ上げてきた。

私が不幸だろうが病気だろうが身内を殺されようが悲しみに打ちのめされようがボロボロになって死のうが、私には人間の煌めきがある。私は人間の一部だ。人間はこれからも続いていく。そんなの、希望でしかないだろ。

嫌だったはずの『明日の神話』が大好きになった。

あの日からもう何年も経ったが、その感動は今も失われていない。

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(c) Wikipedia

 

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