(by 安藤エヌ

2020年1月26日、私はさいたまスーパーアリーナにいた。

Queen+Adam Lambertのライブを目前にして、私の鼓動は興奮と期待で激しく脈打っていた。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観て、Queenの音楽を好きになってからずっと、彼らの響かせる生音をこの耳で聴いてみたいと願い続けてきた。まだ死期も近くないというのに、ライブ当日までブライアンのギター・ソロやロジャーのドラミングを走馬灯のように思っては恍惚としていたのだからおかしな話だ。聴くまで死ねるか、という強い意志の所為だとしても、自分でも思わずくすりと笑ってしまう。

ついに待ちに待った日がやってきた。今日、この場所で彼らの姿と音を感じることが出来る。アリーナは公演が始まる前からどよめき、熱を帯びていた。今まで映像として見てきた1981年のモントリオールや、1985年のウェンブリーにいた観客と同じように、ここにいる全員が彼らの登場を心待ちにしている。胸が熱い。音楽は時代を超える、そのことを何よりも雄弁に証明していた。

そして、ライブが始まった。「Now I’m here」で華々しく幕を開け、私は我を忘れて飛び跳ね、歓声を上げながら身体を揺らした。夢にまで見た、自由自在にディストーションの波をわきおこすブライアンによるギターの音色、男らしく、それでいて寸分も狂わず的確なロジャーが叩くリズム、それと、新たなQueenのボーカルとして迎え入れられたアダム・ランバートの歌声。彼の声は広いアリーナを一瞬にして駆け巡り、高音は神々しくどこまでも伸びやかに響き、かつてフレディが歌っていたメロディを自分らしく、自分のスタイルを崩すことなく歌っていた。

それを聴いて、私の頭の中に絶対的唯一な存在としてフロントに立っていたフレディの隣に、彼が躍り出るのを見た。

彼はフレディではない。だけれど確かにQueenのボーカルとして、20世紀のフロントマンとして私の前に姿を見せてくれたのだ。私は時代を経て、二人の偉大な、黄金に輝かんばかりの個性ある歌声を聴くことができた幸運に感謝した。そして、どの時代のQueenも全てが愛されるべきであり、こうして見渡す限りの熱狂の渦にいるオーディエンスと共有すべき、音楽においての価値ある「ひとつの創造」なのだと感じた。

ライブで印象深かったのが「Who Wants To Live Forever(邦題:リヴ・フォーエヴァー)」の照明演出だ。不老不死への懐疑を歌ったこの曲はまるで魂の繋がりを促すかのようにミステリアスでスピリチュアルな雰囲気が漂う曲だが、演奏が始まるといくつもの光線が頭上で混じり合い、空模様とも宇宙の色ともとれるうねりが加わり、瞬間ごとに移り変わっていく演出がされた。

私はそこに、フレディの面影を見た。今はもういない彼が、天上から私たちを見ているような気がしたのだ。

そして終盤には「Bohemian Rhapsody」が演奏された。ステージ前方にはMVが流れ、アダムとフレディの歌声が重なる場面もあった。

フレディが不在のステージでも、やはり彼は恐ろしく偉大な上、彼の孤独と表裏一体であったがゆえにほとばしるエネルギーとクリエイティビティに惹かれていたので、どうしても肖像としての彼に吸い寄せられ、寂しくなってしまう場面があった。

しかしフレディとアダム、二人のボーカルはどちらも確立したカリスマ性があり、勿論、彼らと共にいるブライアン、ロジャーのスタイルも時の流れに屈せず、その魅力が絶えることはない。

それぞれの粒が光の中で弾け、弦をつま弾き、スティックを振り、また忘れてはならない――もう一人のメンバーが堅実にバンドの存在を支え、絆を結び、素晴らしい音楽を創り出したことを――、マイクスタンドを握りしめ、歌う彼の位置に今は「もうひとり」の天才がいる。

その奇跡の集大成こそがQueenというバンドなのだと、今回のライブで感じるに至れたことは私の人生における大きな財産であり、音楽に触れる生き方においても極上の経験だったと思う。

Queenの音楽は進化し続けるが、根幹である聴いた者の心を揺さぶる魂はいつまでも変わらない。

どうかこのバンドがこの先の未来も多くのリスナーに愛され、伝説として語り継がれることを願ってやまない。

彼らの音楽は、ライブから数週間が経った今もなお、私の心を打ち続けている。

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(c) Queen
Queen 公式Youtube

 

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