
(by とら猫)
映画好きってやつは一年の最後にどの作品を観ようか、にやにやしながら思いを巡らせるものだ。いわゆるところの“映画納め”。私なんかもそうで、毎年師走の封切りラインナップを眺めながら理想的な映画イヤーの幕引きを考える。楽しい。
で、私の令和元年を締めくくった映画は何か。『死霊の盆踊り』である。
そう、その強烈なタイトルだけは誰もが一度は耳にしているであろう、歴史に残るサイテー映画として名高いあの『死霊の盆踊り』をこの師走の二十九日、わざわざ劇場で観るために、私は年の瀬の寒風と人込みに耐えてまで新宿シネマカリテへ足を運んだ。同作のDVDも持っているのに、だ。
なぜか。松浦美奈さんがトークのゲストだったからだ。
松浦美奈さんは数多くの大作映画に字幕を付けられている、日本を代表する字幕翻訳家で、いちおう翻訳を生業とする私なんかにとってはレジェンドである。およそ映画好きを自称する方なら、オープニングやエンドロールでぱっと浮かび上がる「字幕 松浦美奈」のテロップを目にしたことがない者はいないはずだ。
そんな超一流の松浦美奈さんが、ロッテントマトで満足度0パーセントを記録した『死霊の盆踊り』について公に語られるらしい――『サイテー映画の大逆襲2020』と題された公式サイトからカリテのページへ飛び、その事実を確認したとき、私は「奇跡だ」と思った。こんな機会は未来永劫、二度と訪れない。そう確信した瞬間、私の令和元年を締めくくる一本は『死霊の盆踊り』に決まった。
ちなみに、そんな本物のレジェンドたる松浦さんがなぜ、ベクトルは真逆だがレジェンドには変わりない『死霊の盆踊り』のリバイバル上映に際して、トークをなさるのか。そう首をひねられた方のためにざっと説明しておくと、松浦さんは駆け出しの頃に、オリジナル版『死霊の盆踊り』の字幕を担当されているのだ。それだけでもかなり電撃的だが、もっと電撃的なのは、今回のリバイバル上映に合わせて、以前の字幕をすべて訳し直されていること。なんというプロ魂。惚れてまうやろ。そういった深い縁が、盆踊りと松浦さんの間にはあったのである。
どんな職種であれ、トップランナーの話を聞くのは面白い。それも「なんとか論」みたいなセミナー然としたやつではなく、雑談のようなトークがいい。仕事術やツールの使い方なんかは本やネットで容易に仕入れられるが、なぜその人のもとへ仕事が舞い込むのかという問いへの答えに、私は触れたい。要は人柄。仕事だって結局、人と人がするもんだし。人間的に三流を脱せない当方としては、やっぱりその辺を一流から学び取りたいナアと思う。
初めて目にした松浦美奈さんは実に楚々とした、チャーミングな方だった。こうした場が苦手なのであまり表には出ないんです、と控えめに仰っていたが、旧知の仲たる江戸木純さん(『死霊の盆踊り』を日本に紹介した張本人。邦題も江戸木さんがつけたもの。天才である)とのトークは軽妙で、ユーモアいっぱいで、長らく映画業界に携わってきた御両所だからこそ話せる、オフレコ級の裏話がぽんぽん飛び出し、客席は暖かな笑いに包まれていた。
楽しかった。やはり来て正解だった。つか松浦さん、トークうまいじゃん。降壇される頃には、まだまだ話し足りないといった顔で、興が乗られているように見えた。ぜひまたやってほしい。
さて、肝心の『死霊の盆踊り』のほうだが、やはり劇場では早送りボタンで随意にシーンを飛ばせないせいか、めいめいの死霊たちの踊りが果てしなく長く感じられた。そのため、しばらくは笑ったり呆れたり突っ込んだりしていたものの、やがてリアクションが底を突いて感情をうまく表現できない状態に陥った。毒気にまみれた光景によって、毒気をすっかり抜かれてしまった。心が枯れ、魂が萎れた。こんな映画は他にない。すごいことだ。
ちなみに幻の続編の脚本がどうしても読みたくて、上映後パンフまで買ってしまった。なんて商売上手なんだ、江戸木さん。こうして『死霊の盆踊り』と共に締めくくられた私の令和元年。色々あったが、終わりよければすべてよしとしておこう。
(ちなみに『死霊の盆踊り』 はこの正月もシネマカリテで公開中だ。一月四日には映画ライターの高橋ヨシキさんを迎えてのトークもある。あの踊りはちょっと祭事に見えなくもないし、世間が一様に浮かれている正月に鑑賞するのに、実はぴったりの一作かもしれない。)
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映画『死霊の盆踊り』公式サイト