(by こばやしななこ

「猫はかわいくて虫は苦手なのは差別?」と悩んだ。生き物を選別し、かわいがったり嫌ったりするのはいかがなものか。でもどうしたって猫は特別。他と平等には語れない。自分だけじゃないのだと安心するために、猫贔屓な作家たちが書いた猫に関する本をたくさん読んだ。

本を読み漁るにつけ、思う。なぜ作家というのはこうも猫が好きなのか。

彼らは猫を見て、「幸せ」とは餌を貰うために芸をする必要のない自由な人生にある、と気づいてしまったから作家になったのではないか。私が自宅で文章を書きながら細々暮らしているのも、猫を好きになってしまったが故かもしれない。もし犬が好きなら、今頃出世コースだったかもしれないなぁ。

私と猫の出会いは、まだ保育園に通っていた時分だ。

公園で遊んでいる私のあとを、小さな白い猫がついてきた。あまりに綺麗な猫だった。後ろをピョコピョコついてくるその子は、気づけばうちにいた。ミィちゃん、と私が名前を付けた。

ミィちゃんはあまりにもすぐ、私たちの元からいなくなった。悲しすぎるので詳しくは書かない。私以上にショックを受けていた母は「生き物はもういいね」と言った。

こっちがもうよくても、猫はあちらからやってくる。

小学2年の夏の終わり。母の兄、つまり私のおじさんが家に来て、お土産、と後ろに隠していた腕を私に差し出した。おじさんの腕の中には、小さな白い猫がいた。

私は飛び上がった。

「ミィちゃんが帰って来た」

よく見るとその猫はミィちゃんほど真っ白ではなかった。おじさんが海で拾ってきた別の猫だ。ミィちゃんとは違う、青い目をしている。猫にはすでに海(うみ)と名前がついていた。

海はあの日から20年、うちで暮らした。振り返ると、私は献身的な飼い主じゃなかったから、本当にうちで良かったのかな、と後ろめたくなる。特に思春期の私はあんまりいい同居人じゃなかった。

例えば、海が毎日気ままに暮らしていられるのが妬ましくて「いいよね、お前は毎日寝てれば良いからさー」とぐちぐち嫌味を放つこともあった。海はジトッとした目で私を一瞥し、尻尾でパシパシ床を叩いていらだっていた。こんな様子なので嫌われたかも、とヒヤヒヤすることも何度かあったが、なんだかんだ彼女は夜になれば私のベッドで一緒に眠った。

気ままに暮らしているように見えて、海にも色々な猫事情があったかもしれない。海は毎日いそいそ外に出かけて行った。私は外で出くわした海が、いかにも「猫」らしく振舞っているのを見るのが好きだった。アイツ、外で会うと私のこと知らんぷりするのだ。人間に飼い慣らされてるなんて、猫として示しがつかないからかな。

海は私が実家を出て、大学を卒業し、就職しても元気でいた。離れて暮らす私は、彼女は死なないような気がしてきていた。

でも、それはただの願望だったみたい。海は急激に弱った。

2017年6月、弱って外出しなくなっていた海が、珍しく外に出たいと玄関で鳴いたそうだ。母が彼女を外に出すと、それっきり姿を消した。調子が悪くなって身をひそめたのか、家が分からなくなったのか、最期は飢えただろうか、苦しんだのか、死体は腐っただろうか。最近、考えないでいた彼女の最期を想像してしまうようになった。その死は、猫らしくかっこよくあったと思える時もあれば、辛すぎて落ち込む時もある。

最初の問いに返るが、私は猫を特別扱いしてしまうことに「仕方ない」と結論を出した。猫から選ばれたのだ。気づけば家にいたんだから、私が選別したわけじゃない。世の中には虫に選ばれる人もいれば、蛇に選ばれる人もいる。選ばれてしまった者になす術はない。

 

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