【エッセイ】日々のデッサン

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(by 冬日さつき

わたしがいつまでもいろんなことを覚えているのは、いつも反芻を繰り返しているからだと思う。だから、記憶力が良いだとか、そういうのとはまたちがう。ほかの人の頭がどうなっているかわからないけれど、自分の頭の中はいつもさわがしい。思い出したり考えたり、絶えずイメージを含んだ言葉が行き交っている。

中学生くらいの頃からだろうか。ディスプレイの分厚いパソコンで、日常のこと、観た映画の感想などをひたすらに書きはじめた。紙とペンで記すのを試したこともあったのだけれど、かなしかった日に書かれた文字はかなしそうで、たのしかった日に書かれた文字はたのしそうだった。ずっと前、向田邦子を演じた役者が、万年筆で原稿を書いている手元を似せるために彼女の筆致を家で練習したと自分のホームページに書いていた。落ちるインクの量で線の細さが変わるから、悩みながら書いた部分や、調子が乗ってたのしく書いた部分がわかったという。とてもすばらしいことで、それこそが手書きの良さであるのだと思う。でも、わたしはやはり言葉だけを残したかったからか、パソコン以外の書き方がどうしても続かなかった。

日常に起きたことを書いているというよりは、一日の記憶をひとつずつ漉していく作業に近い。人の名前や場所などの固有名詞は使わないで書く。気が変わって消したときに後からわかるように、タイトルでしりとりをしておく。そのほか、じぶんだけしかわからないような小さなルールがたくさんある。最近書いたものはこんなふう。

『帰り道、足のおぼつかないおじいさんが杖を電信柱にカン!とつよく叩きつけた。見えないところにいた猫がすごいはやさで逃げていった。』

『いつも同じ時間に中東系の男の人が自転車をこぎ歌を歌いながらわたしを追い抜いていく。この瞬間、わたしは彼の世界の風景のひとつになったとおもう。』

昔、デッサンの授業で大学の先生が「絵だけじゃなくて、言葉でデッサンをしてもいいんです」と言った。それを聞いて、ずっと続けていることに近いかもしれないと思った。一日を振り返り、わすれたいことは残さずに、自分だけの文体で記していく。書いていると大きく深呼吸をしているような気持ちになって、身体がすこしずつ軽くなる。わたしは何度もこの時間に救われてきた。

いつかいろんなことを忘れてしまっても、ずっと書き続けていたら記録の中でまた出合うことができる。小さな感情の揺れを。わたし以外だれも気にとめなかった風景を。いつかなにかの答えになるかもしれない瞬間を。いつまでも書き続けて、最後にそれらをすべてまとめ、辞書のような分厚い本にしたいと思っている。

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(イラスト by kotaro

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この記事を書いた人

校閲者、物書き。

新聞社やウェブメディアなどでの校閲の経験を経て、2020年フリーに。小説やエッセイ、ビジネス書、翻訳文など、校閲者として幅広い分野に携わる。「灰かぶり少女のまま」をはじめとした日記やエッセイ、紀行文、短編小説などを電子書籍やウェブメディアで配信中。趣味のひとつは夢を見ること。

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