【猫エッセイ】私と猫と、愛のこと

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(by 安藤エヌ

先日、気の置けない友人と恋愛経験値の話からこんな言葉が飛び出た。

「ぶっちゃけ、私がいちばん恋愛感情に似た気持ちを覚えるのって、猫なんだよね」

生粋の猫好きな私たちは、そこでどっと笑う。

「分かる~!」

猫を愛しすぎるがあまりの、胸が締めつけられる感情を恋だという。何も間違ってなんかいない。だって本当に、猫が愛しくて愛くるしくて、どうにかなってしまいそうになる真夜中が確かにあるのだから。

猫を愛している。こんなに純粋な気持ちが他にあるだろうか。
猫のすごいところを挙げるときりがない。とにかく人間には決して持ちえない素晴らしいものたちを、あのキュートな身体に内包して彼らは生きている。外側はまるでマシュマロのような触り心地、体毛は柔らかい身体を殊更ふわふわにさせていて、一度さわると病みつきになってしまう。性格だって、みんな違ってみんないい。されど、猫は猫。猫という生き物に生まれた彼らはみんなに特有の、思わず一日中構い倒したくなってしまう甘えと素っ気なさの塩梅がパーフェクトな性格をしている。
つまり猫は、外も内も完璧にかわいい。完璧でいて、少しドジ。アイドルだったらデビューしてすぐにセンターになってしまう素質の持ち主、それが猫なのである。

私の熱い猫愛を披露したところで、愛猫の話をさせていただきたい。
現在我が家には二匹の猫がいる。私が小学2年生の頃から飼っているマイケル(茶トラ・オス)と、最近来たばかりのひな(アメショMIX・メス)だ。マイケルという名前は、猫好きならおっ、と気づくかもしれないが、あの名作猫マンガ『What’s Michael?』から来ている。マンガに登場する茶トラのマイケルにそっくりだったため、母が名付けた。

このマイケルだが、現在アラサーの私が8歳の頃から飼っているので、かなり年老いてしまっている。腎不全持ちなのもあって見るからに痩せこけてきてしまっており、昔はまるまると太っていたのが今や見る影もない。
マイケルの在りし頃をアルバムに挟まれた写真で回顧しながら、私はその変化に戸惑い、どうしようもなく悲しい気持ちになってしまう。生きるものはみなすべて平等に死んでいくと分かっていながら、乗り越えられそうにない悲しみの前兆に怯え、恐れおののいてしまう。私はまだ、愛してやまない猫の死というものを経験していない。その代わり、自分はいちど心の病気で死にかけたことがある。その頃といえば、ありとあらゆる感情の類が心から消滅して、生きた心地のしない毎日をひたすら耐え続けていた。

そんな時、そばにいてくれたのは家族と、そしてマイケルだった。マイケルは呻きながら泣き続ける私のそばにいつの間にか寄り添い、何も知らないはずなのにずっとその場を離れなかった。気にしていないように見えて、ただごとじゃない自分の飼い主を案じてくれているその控え目な優しさが、闇の向こうに垣間見えていた。私はマイケルを抱きしめ、その身体に涙を染み込ませた。どんなタオルも柔らかいものもかなわない優しい感触と、動物がいっしょうけんめい生きることで発せられる熱さに、心の底から安心することが出来た。

マイケルは優しい猫だった。今もそれは変わらない。自分の身体が老いていき、よぼよぼになり、トイレでの粗相が多くなっても、まだ生きようとしてくれている。まだ、私のそばにいてくれようとしている。
その純真な優しさこそが猫そのものであり、私が愛する彼らの、彼の生きる姿なのだ。
だとしたら、私はその命が尽きる最後の瞬間まで、そばにいてあげたい。マイケルがそうしてくれたように。辛い時、何も言葉を介さず寄り添ってくれたように。

ありがとう、という一言だけでは到底表せないこの気持ちを、あえて何かに例えるのだとしたら、例えられるのだとしたら――それは、愛だと思う。恋愛のようにも見え、親愛のようにも見える。友愛かもしれないし、或いはそれらすべてなのかもしれない。
恩とか義理とか、そんなものを超えたところからマイケルは私を見守り、私からの愛を受け止めてくれた。
愛おしいと思う感情を、猫から教えてもらった。そのほんの一部分でも、猫が私から「返されて」いるのだと感じてくれていたら嬉しいな、と思う。

新米家族のひなと、そして私の半生を一緒に過ごしてきたマイケル。
外はだんだんと秋めいてきて、何かあったわけでなくとも寂しさが胸に募ってしまう。
そんな時、一段と猫に対する愛情が深まっていくのは、まるで落ち葉がゆっくりと色づいていくのと似ていて、心地がいい。この緩やかな幸せが、永遠に続いて欲しいなんていう傲慢な気持ちはない。ただ、願うぶんだけ続いてくれればいい。

寒くなってきたね。あたたかい布団に、いっしょに潜ろうね。
美味しいご飯も、たくさんあるよ。
私が本当に、猫にしてあげたいこと。それは恩返し、じゃなく、愛返しなのだと思う。

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この記事を書いた人

安藤エヌのアバター 安藤エヌ カルチャーライター

日芸文芸学科卒のカルチャーライター。現在は主に映画のレビューやコラム、エッセイを執筆。推している洋画俳優の魅力を綴った『スクリーンで君が観たい』を連載中。
写真/映画/音楽/漫画/文芸