【エッセイ】完璧主義とわたし

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(by 冬日さつき

結婚式が終わったあと、「この先もっと自分のことを好きになれたら、いつかもう一度ウエディングドレスを着たい」と言ったら、叱られた。式に満足がいっていないように聞こえたようだった。だけれど、実際には不満なんてまったくない。自分で言うのもなんだけれど、こじんまりとした、わたしたちらしいすばらしい式だったと思う。美しいドレスを3着も着せてもらった。唯一不満を持っていたとしたら、たったひとつのこと。それは、自分自身に対してだった。

ほかの人にとっては、重要じゃないことだと思う。もっと体型に自信を持っていたかったとか、もっと美しくいたかったとか。かつての自分が何度も想像した夢みたいな一日があっという間に終わってしまって、その日を完璧な状態で迎えられなかったのではないかという、後悔のような、喪失感のようなものがあった。

そんなことを考えていると悲しみが急にふくれあがって、いつもみたいにワッ!と泣いた。すこし落ち着いたあと、トイレの中でぼんやりと考える。わたしはずっとこうだった。いつも、いつも、まだ完璧じゃない、と思っている。裏を返せば、わたしは心のどこかで自分のことを、あまりに過大評価しているのかも。こんなもんじゃない、本当はもっとすごいのに、と。

でも人生ってもしかしたら最後までこうなのかもしれない。わたしが自分を認める日なんて永遠に来ないのかもしれない。そもそも、自分が満足する「完璧な状態」って、実際に存在するのかな。もしも完璧だったら、なにがどう変わっていたのだろう。

ふと、少し前に買った本のことを思い出した。『いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法』(デビッド・D・バーンズ)辞書みたいに分厚くて、1ページめくるたびにわたしにとっての答えが書かれている。こわくなって途中で読むのをやめてしまっていた本。正論はときどきおそろしい。押し花に使ったこともあった。ぱらぱらとめくり、かつてシャーペンで引いた、自信のない薄い線に目をやる。

“この世の中に『完全』ということは存在し難いことなのです。もしあなたが経験したことをすべて完璧主義のカテゴリーに当てはめようとすれば、いつも憂うつにならざるをえないでしょう。なぜなら、その主義は現実とは折り合わないからです。あなたの誇張された過大な要求水準に合わせることなどできませんから、永久に自信のない状態に自分を置くことになってしまいます。”

口げんかの強さを自負するわたしでも、反論のための言葉がひとつも浮かばない。どういう経緯でこの本を買ったのか忘れてしまったけれど、もしかしたら、未来にいる自分がどうにかしてわたしがこの本に出合うよう、タイムマシーンに乗って過去を変えに来たのかも。未来のわたしはたぶん、まだ完璧じゃないと思いながらほぼすべての人生を過ごし、失敗におびえ、何ひとつ成し遂げようとしなかった。

この本では大きく「認知の歪み」が取り扱われている。認知の歪みとはいわば考え方の癖のようなもので、世界の見え方とも言えるかもしれない。まずは自分のネガティブな考えがいかに合理的でないかを知る必要があるといい、そのための実践的な訓練方法が認知療法として示されている。抗うつ薬と比較した実験により、うつ病と診断された人の治療の効果が見られたとのことだけれど、わたしのような、うつとまではいかなくても気分が落ち込みやすい人、すぐにマイナスな感情に支配されてしまう人にとってもヒントを与えてくれる本だと思う。

本の重さに姿勢を何度も変えながら、どんどん読み進めていく。第14章「中くらいであれ!—完璧主義の克服法」では、こう書かれていた。

“実際にもしあなたが完全だとしたら、どうなっているか考えてごらんなさい。学ぶべきことは何もないし進歩もありません。努力することによって得られる満足感も、この先変化する可能性もないのです。人生の残りを幼稚園で過ごすようなものです。” タトゥーとして体中に彫りたいくらいの正論だ。

しばらく前に、「暮らしてみたいから」という理由だけで外国で1年間暮らしてみたことがあった。そのとき、無知から間違いをたくさんした。今でもはずかしくなってしまうようなものを。でも、今はその間違いを繰り返さない。経験から学び、自ら身につけたものは、自信となってわたしを守る。

ずっと気がついていて受け入れられなかっただけかもしれないけれど、完璧である必要なんてたぶんない。本に書いてあることをひとつひとつ試していく。すこしずつだけれど未来から来たわたしもうっすらと消えていくだろう。完璧を目指すことをやめて、自分の人生を生きることにする。

(イラスト by kotaro

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この記事を書いた人

校閲者、物書き。

新聞社やウェブメディアなどでの校閲の経験を経て、2020年フリーに。小説やエッセイ、ビジネス書、翻訳文など、校閲者として幅広い分野に携わる。「灰かぶり少女のまま」をはじめとした日記やエッセイ、紀行文、短編小説などを電子書籍やウェブメディアで配信中。趣味のひとつは夢を見ること。

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