「男の人の衿なしシャツって好きじゃないのよね」

これは母の口癖だ。母は衿なしシャツの説明をするとき「人民服みたいなやつ」と形容するので、いわゆる“バンドカラーシャツ”という形のものを指している。あまりに頻繁にこう言われて育ったので、私自身も「男の人が衿のないシャツを着ているのはいけ好かない」と思いこんで大人になった。

18歳で実家を出た時には、衿なしシャツへの嫌悪は呪いのように、私にしっかり染み付いていた。

テレビをつけて、衿なしシャツを着た男性芸能人が映っていると「むむ」と思う。通りすがりの衿なしシャツ男子を見ても「あっ」と眉をひそめる。なぜなら、衿なしシャツを憎むのが小林家のアイデンティティだから。

でも、私はなんで衿のないシャツを嫌っているんだろう。実際のところ、理由は全然わからない。私の心の中に本当に嫌悪感があるのかすら、謎だ。親元を離れて暮らすうちに、衿なしのシャツに対する気持ちに揺らぎが生じてきた。

今から数年前のこと。

衿なしのシャツにチャイナボタンのついた“チャイナシャツ”が少し流行した。私がいつも服を買う店にも、チャイナシャツが並んだ。可愛い。胸がドキドキした。衿つきのシャツよりカッチリしてなくて着心地も良さそう。欲しい。気づけば試着もせずに買っていた。

シャツを買ったことで私ははっきりと自覚した。嫌いじゃないどころか、衿がないシャツって、着るのも好きだし、着ている人を見るのも好き。畏まりすぎない雰囲気が好き。男の人が着てるのだっていい。むしろお洒落。あぁ。これが私の気持ちだったんだ。

衿なしシャツの呪縛から解き放たれた私が実家に帰ると、母は案の定、男の人が衿なしシャツを着ているのが嫌いだという話を私にした。そもそもなんで、こんなに高頻度で衿なしシャツの話になるのだろう?世界はそんなに衿なしのシャツで溢れている訳でもないのに。この時ばかりは私も「私は結構好きだけどな、衿のないシャツ」と答える。

「着るのがじゃないのよ、男の人が着てるのがよ」

「男の人が着ててもいいけどな」

「うーん、そうなの……」

母は、納得いかないって感じだった。

それと同じ帰省中、私は車を運転している母の横、助手席に座って話していた。うちの酒乱で暴力的な祖父について話していた。

「たとえ浮気しない人でも、あんな人は嫌」

私がそう言うと、母は声を低くした。

「浮気もしてたのよ」

うちのじいちゃんが浮気をしたのは、ずっと働いていた職場を退職し、市民会館で働いていた中年時代(50代くらいかな)のこと。近所の同じく中年の女性と、関係を持ったらしい。

祖母は、そのことをじいちゃんの日記を盗み読んで知った(人の日記を勝手に読む祖母も祖母だ)。浮気のことをわざわざ日記に書くなんて、浮気したこと自体よりよっぽど腹立たしい。日記には、家にあるじいちゃんの衿なしの白いシャツが、浮気相手からのプレゼントであることが書かれていた。

気性が激しい祖母は、ハラワタ煮えくり返しながら、その白い衿なしのシャツを持って浮気相手の旦那を訪ねた。そして自分が知ったことを洗いざらい伝え、「これはお返しします」とシャツを返却した。

重大な秘密を打ち明けるように母は声をひそめる。

「元々問題があったけど、おばあちゃんとじいちゃんの関係が決定的に悪くなった原因はアレだったな」

なぜ、衿なしシャツがここまで我が家で嫌われていたかがわかった。そして私が嫌う必要はないこともわかりスッキリした。憎むべきはじいちゃんの浮気であり、シャツに罪はない。私は衿のないシャツが好き。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でBadCats Weeklyをフォローしよう!