(by 矢御あやせ)
「~だから」と我慢を強いられたことはあるだろうか。
題名の「女だから」のみならず、男だから、陰キャだから、パリピだから、おじさんだから、姉だから、弟だから…………。枚挙にいとまがない。
本書はそういう「冷たい雨」に打たれている人に、「もう大丈夫だよ」と肩を置いてくれる。そして、空に向かってパンチとキックとついでにビームをして、根本から雨雲を振り払ってくれる。「解放されたい人」に向けた優しくて強い復讐劇だ。
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ところで、私はこの世で一番わくわくする物語を「東映のアニメ映画」と定めている。
私の子供の頃だとセーラームーンがその代表であった。男の子ならばドラゴンボールである。アラサー諸君にしか通じない話を失礼した。
東映のアニメ映画は、テレビより少し大きな冒険をし、テレビのラスボスほど凄いやつじゃないけどすごい敵と戦い、ちょっと説教臭くてどきっとするような恋愛要素もある。
要するに「すっごくわくわくする」のだ。当時の私は、ストーリーのことをよくわかっていない子供ながら、「すっげぇや!」と爛々と目を輝かせて夢中で見ていた。
本書はそんな東映のアニメ映画のような「わくわくの塊」が目いっぱい詰めこまれた「優しくて強い」復讐劇である。
内容は、前半は日常的なパートで、後半は決戦パート。そんな構成も東映のアニメ映画っぽい。
物語の鍵を握るお姫様、時計台、お城、塔、人造人間、囚われの仲間…………もうこれ、わくわくしないはずがないだろう!!!
そして、後半の特大スカッと展開。カタルシスである。
主人公たちを苦しめていた復讐相手に思いっきりキメてやるのだ。
彼女たちは何に苦しみ、何を「キメて」やったのかは、ぜひ本書を読んで「感じて」ほしい。
そしてラストシーン、主人公ターニャに声をかける「ある人物」。あのラストはビビビビ~~~っと雷を打たれたように痺れた。場所が常磐線(上り)にも関わらず涙がにじみ、夏の終わりの日暮里で立ち尽くしてしまった。
この物語は、一見「全ての女の子のため」の物語のように見える。
だが、本当は違うのかもしれない。ラストを見てそう感じた。
本当は「全ての“~だから”、と言われ、差別に苦しんでいる人へ」の物語なのだ。(悪者は男の人ばかりなので、男性が読むと「え~~~っ!?」って思うかもしれないが……)
私は31年の人生でオタクかつ喪女であるからとバカにされたり、からかわれたりすることが非常に多かった。女としての差別より、喪女としての差別を肌でひしひしと感じていた。なので、フェミニストではないと思う。女性も憎い。
職場で「喪女だからあなたは仲間外れ」と居ないことにされた経験も多いし、異性との交際経験人数で最初から鼻で笑われることも多かった。
そんな、喪女として受けてきた冷たい雨が、作中のパンチで止んだ。晴れ間が生まれた。
二巻を読み終わった今、とても心穏やかだ。周りから受けた呪われた重しを脱ぎ捨て、次のステップへ足を踏み出すのは、まるでふわりと浮き上がるような嬉しい心地だ。
心の中に、ターニャたちが住んでいるならば、もう大丈夫なんだ。
――誰かが「アンパンチは暴力的でいけない」と言った。
敢えて言おう、「それがどうした」と。
物語の中の世界は自由だ。自由だからこそ、「誰かのため」に作られる。誰のためでもない物語は、多分物語として機能しない。
現実世界のどうしようもない理不尽こそ、せめて物語の中だけではパンチやビームで解決したっていいんじゃないかと思う。
特に、本書の中のパンチは、苦しむ読者達1人1人へのためのパンチだ。
本書の物語は、優しくて強い「みんなたち」のための最強のパンチを読者に与えてくれるのだ。
私は、こんなにも優しくて強くて「嬉しい」パンチを見たことがない。
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