【エッセイ】見知らぬ人を時計にする

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(by 冬日さつき

わたしは人をときどき時計にしている。

こんなふうに書くと、人間を魔法かなにかで時計にすっかり変えてしまうみたいだけれど、もちろんこれはぜんぜんちがう話だ。

決まった時間に決まった場所へ行くとき、かならず見かける人がいる。たとえば、毎朝会社へ向かうときに見かける人やすれちがう人。時計にするってどういうこと、といまいちピンとこない人もいるかもしれない。でもそれはとてもシンプルで、決まった時間にすれちがう人を見て、時間の目安にするのだ。

すれ違うだけの人たちを、一方的に「時計」としてしまうのはなんだか失礼なのかもしれない。だけれどこれは、子ども時代にしていた横断歩道の白いところだけを命がけで渡る、というような遊びになんとなく似ているような気もする。要するにじぶんだけのルールなのである。

同じ電車に乗っていると、電車が遅れたり止まったりしないかぎり、だいたい同じ時間に会社へ着く。いつもこのあたりでわたしを追い越して行くサラリーマン。いつもこのあたりで向かいからやってくる妊婦さん。いつもとはちがう場所ですれちがったときは、歩くペースがいつもより遅かったり、コンビニに寄ったりしたときが多い。ほんとうの時計をちらりと確認して、早く歩かないと、と思う。もちろん、わたしの時計になってくれている人自体が遅れたり早かったりすることもある。

この先の人生で、おそらく知り合うことのない人たちだ。彼らとわたしのルーティンが、ほんのすこし交わる瞬間。日常って、そういうことの連続だと思う。出会うまもなく別れていく。お互いのことなんてすこしも知らずに。

わたしみたいに勝手に名前を与えていなくても、わたしが同じ時間、同じ場所で歩いていることで、なにかを確認している人もいるかもしれないし、それこそわたし自身もじぶんの意識が及ばないところで誰かの時計になっているかもしれない。

この世界に生まれた以上、だれかの人生をひとつも変えないで生きるのは不可能だと思う。こんなことを言うのはばかげているかもしれないけれど、もしかしたら、わたしが「時計」を見て歩みを早めなかったら、事故に巻き込まれていたかもしれない。それぞれが複雑に作用しあって、わたしたちは生きていく。

正確な時間を知るのにはあまりに運まかせだけれど、ゲームみたいに生活をするのはたのしい。だれかのこういうじぶんだけの遊びがあれば、聞いてみたいな。

(イラスト by kotaro

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この記事を書いた人

校閲者、物書き。

新聞社やウェブメディアなどでの校閲の経験を経て、2020年フリーに。小説やエッセイ、ビジネス書、翻訳文など、校閲者として幅広い分野に携わる。「灰かぶり少女のまま」をはじめとした日記やエッセイ、紀行文、短編小説などを電子書籍やウェブメディアで配信中。趣味のひとつは夢を見ること。

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