狂っていくというプロセス。

なぜだか自分は幼い頃からそうしたことに関心があって、狂った人々が暴れまわる映画や漫画を好んで見ていた。

猟奇的な事件が起きると槍玉に挙げられるたぐいの作品ばかりだったが、それらを見ていて学んだのは、人が狂うことと凶暴性にはあまり関係がなく、狂った人が全員ナタを持って殺戮を始めるわけでもないということだ。愛情をこじらせて狂ってしまう者もいれば、悲しみに飲まれて狂ってしまう者もいる。そして彼らがいざ狂ったとき、その狂気は残虐性に限らない、様々な形を伴って顕現するのである。

『真昼の暗黒』はそうした、様々な理由から狂っていく者たちを描いたビジュアルノベルだ。

例えばトラウマ。誰もが多かれ少なかれ抱いている、いわば狂気の温床。

本作の登場人物の多くも幼年期のトラウマを抱えていて、それぞれの者を、それぞれの狂気へと駆り立てる。一度でも創作的なことに手を染めた方ならわかるだろうが、こうしたトラウマを描こうとするとき、人はまず自身の体験や知識を拠りどころにする。次いでトラウマを肉付けしていく。このさじ加減が難しい。

トラウマを盛りすぎると見世物的になり、リアリティが失われてしまう。「さすがにこんな酷いことは起きないだろう」とオーディエンスを鼻白ませては、作品として失敗である。かといってトラウマが軽すぎてしまうと、キャラクターの狂気に十分な裏付けを与えられない。

『真昼の暗黒』はこの辺りのバランス感覚に優れていて、チープなトラウマ劇へと流れ込みそうなところで踏みとどまり、作品のリアリティを保っている。自分の周りでは聞いたことがないが、この世の中のどこかで起きていても不思議はない――そういった、対岸の火事を双眼鏡を通して見ているような不安感を抱かせるのが実に巧い。同じく現実に潜む狂気を扱った『無垢の祈り』という映画を彷彿とさせる。

『真昼の暗黒』では、この社会が上っ面をなぞるだけで周っているという現実を、ある映画的な(そして極めてゲーム的な)トリックを使って暴露してみせる。このときプレイヤーは初めて、自分が今までゲームを”読まされていた”にすぎないことを知り、狂気を見破ることの難しさ――不可能さを容赦なく突き付けられるのである。タイトルの示唆するところが重々しく響く。

ティラノゲームフェス2018でグランプリに輝いたノベルベームだけに、畳みかけるような心理描写は、本格的な小説作品に一歩も引けを取らない凄みがある。それどころか映像と音楽によるインプットも得られるぶん、ノベルゲームが本気を出せば、小説という旧来のメディアに引導を渡しかねないのではないか……小説で育ってきた者としては一抹の悲しみを覚えつつ、そんなことを思ったりした。

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(c) Summertime
ノベルゲーム『真昼の暗黒』公式サイト(無料ダウンロード可、15R指定:過度な暴力、出血、性表現あり)

 

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