【エッセイ】真夜中のひとり遊び

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(by 冬日さつき

わたしの夜は長い。

海に向けられた定点カメラは大きくうねる波を静かにとらえている。白い飛沫は黄色いライトと混ざり合い、なめらかに消えていく。伊豆諸島、八丈島からの中継。ベッドに寝転がり、テレビを見つめる。映像に表示されている時間は現在を示してはいない。わたしはときどきこうして、嵐の日に録画しておいた中継を、眠れない夜に再生する。窓の外は静かで、風ひとつない。

たとえば番組放送が終わったあとの世界各国の天気予報、同じ内容が何度も繰り返されるテレビショッピング。それらはじぶんから遠く離れていて、きっとわたしを傷つけない。いつもこんなふうにむき出しのままではいられないけれど、ひとりきりの真夜中にはやっぱりこうして安全でいたいとおもう。

ぼんやりしながら、太ももにボールペンでナスカの地上絵を書いて遊ぶ。ナスカの語源、ナナスカという言葉には「つらく厳しい」という意味があるという。わたしの肉体をナスカの土地にしながら、線を少しずつ広げていく。実際のナスカの地上絵はというと、消滅の危機にあるらしい。もしもいつか完全に消えてしまっても、そこにその絵があった/人々によって描かれた、という事実は、どれほどのことを変えてきたのだろう。

午前3時をこえて、ビールを飲みながらふと思い立ってお菓子を作りはじめる。まぜて焼くだけの簡単なもの。焼いている間に朝が来たら、魔法がとけてしまうような気がするから、できるだけ急いでオーブンに入れた。40分後、できあがったお菓子の匂いにつつまれながら、やっと眠る。

子どもの頃、夜更かしは大人の特権なのだと思っていた。だけれどいまとなって考えると、次の日のことを考慮して、眠るべき時間にきちんと眠るのが大人であるような気もする。真夜中に行われるわたしのひとり遊びは、大人になるということへの小さな反抗なのかもしれない。

ほんの少しの夢を見たら、もう起きる時間になってしまう。目をつむりながら服を着替えて、眠っている間に粗熱のとれたお菓子をアルミホイルでくるみ、お昼のためにかばんに入れた。家を出て、朝の光を浴びながら、じぶんの中の空気をすべて入れ替えるように大きく深呼吸をする。

駅までのあいだ、いろんな表情の人とすれ違う。しっかりとした顔つきの人、まだ眠そうな人。おそらくずっと起きていて、まだ夜にいるままの人。

わたしはというと、電車の中で、ふとももに地上絵があることを思い出して笑いそうになっている。こうしてじぶんだけの夜を身体にかかえたまま、電車を降りて仕事へ向かった。

(イラスト by kotaro

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この記事を書いた人

校閲者、物書き。

新聞社やウェブメディアなどでの校閲の経験を経て、2020年フリーに。小説やエッセイ、ビジネス書、翻訳文など、校閲者として幅広い分野に携わる。「灰かぶり少女のまま」をはじめとした日記やエッセイ、紀行文、短編小説などを電子書籍やウェブメディアで配信中。趣味のひとつは夢を見ること。

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