【ゲームレビュー】『ファークライ ニュードーン』でヒャッハーする世紀末

ファークライ
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(by シェループ

カルト集団に牛耳られたアメリカ・モンタナ州の田舎町を救え。

こんなあらすじと共に始まるオープンワールドFPS『ファークライ5』は、良くも悪くも衝撃的な内容だった。カルトの支配区域を一定量奪還する度に発生する強制連行、そこからの戦闘、脱獄、幻覚空間に送り込まれての説教。広い世界を自由に探検できるこのシリーズにしては珍しく、強い行動制限を敷いた構成にはいつになく閉塞感を覚えた。

カルトの総本山を打倒した後に訪れるエンディングも、想像を絶するものだった。公式にネタバレされているため、言及してしまうが、核戦争開戦である。何の前触れもなく(※……が、実は本編から外れた場所で示唆されている)、いきなり目前でキノコ雲が上がり、それまで探検した世界が崩壊していく。

そして、そこから一つの出来事を経て、物語は幕を下ろしてしまう。

元々、ファークライシリーズは、プレイヤーのゲーム本編への参加を罪として問うような物語上の演出が一種の定番になっている。私は『ファークライ3』からシリーズを継続的に遊ぶようになった途中参加者だが、その頃から、プレイヤーに対して罪を問う表現を売りとした作品であることを察した。実際に同作の主人公は、プレイヤーが介入した結果、相応の代償を得るからである。

続く『ファークライ4』もやはりそれに近い結末で、こういうゲームなんだと確信した。だが、5の結末はそれを理解した身でも度肝を抜かされた。何故、そこまでする必要が。そんなにもこの世界への関与は大罪だったのか。もはや、何も分からなくなった。何より、不安を感じた。こんなことして、次の新作はどうするんだ。世紀末でヒャッハーか。

……本当にその通りだった。

エンディングから17年後の世紀末世界を舞台にした新作、爆誕である。

しかも、前作から1年足らずで発売。

シリーズとしても異例の速さだった。

理由は察するに、今回も同じ田舎町「ホープ・カウンティ」が舞台で、言い方が良くないが、前作の資産を使い回せるからだろう。だが、核戦争後のため、17年前にあった建物が見るも無残な形になっていたり、スーパープルームの発生により、荒廃した土地にピンクの花が咲き乱れているなど、その光景は大きく変わっている。

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装備品も今回はあちこちに落ちている素材を調達し、一から作らなければならない。文明崩壊によって、お金は消えたのだ。作らなければ元も子もない。そして、生き残った人々と手を取り合い、装備を作れる環境を整える必要もある。

もちろん、秩序を乱す脅威に対抗するための戦力も。略奪者集団「ハイウェイマン」が暴虐の限りを尽くしており、様々な局面で相まみえることになる。そんな彼らに立ち向かい、生き残りと平穏な日々を求める戦いに臨む。まさに世紀末なあらすじだ。

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だが、その戦いは17年前に比べて遥かに開放的である。略奪者集団は単純に暴挙を働くことに精を尽くしている。カルト集団のように自らの教えを伝えようと、力を与えようと強制的な連行手段に出てこない。故に探検を邪魔されることはなく、ある場面を除き、今回はプレイヤー側から攻める展開が大半を占める。

本編の進め方も過去のファークライに倣って、自由になっている。装備を整え、準備万端にした上で物語を進めるのも、逆の状態で進めるのも良し。一部、移動範囲が制限されるクエストもあるが、強制的に参加させられるようなことはほとんどない。ちゃんとプレイヤーがそのまま挑むか、準備してからにするかを選べる。

おかげで、今回は窮屈な思いをすることもなく、最後まで遊べた。崩壊した世界ながらそこに閉塞感はなく、探検や戦闘を気ままに楽しめたのである。だが、文明を失ったことで自由になった作りというのは、なんだか皮肉めいている。

文明があった前作の世界。そこには強い行動制限が存在し、物語を進めるにも不自由な思いに苛まれることがあった。だが、最終的に世界は滅んで、良い意味でも悪い意味でも自由が戻った。まがいなりにも、そこへと至らせたのはプレイヤーの介入である。

そのことを考えて思う。このゲームを「面白かった」、「楽しかった」と表現することは正しいのか、と。一口に言って、本作は面白かった。ボリュームは過去作にも増して少なめだが、自由に楽しめる探検と戦闘、素材を集めながらの装備調達、拠点の発展など、時間を忘れて楽しんでしまうフィーチャーが満載だった。

物語も分かりやすく、若干のほろ苦さはあるものの、エンディングは綺麗な幕引きとなる。簡易レベル制度導入で敵の強さが判別しやすくなったり、小さなマップを舞台にしたステージクリア型のサイドクエスト、素材回収の大きなメリットが付加された基地の奪還イベントなどの新要素も興味深く、幾つかは次回作での発展に期待したくなった。

だが、そんな面白いと感じたことも、プレイヤーが前作に介入した末の罪によって得られたものと考えると、妙な胸糞悪さが出てくる。1年足らずで発売されたのも、エンディングの後を知りたいプレイヤーを待たせない以外に、世界を崩壊に導いた罪に対する自覚の無さを浸透させるためだった、と考えると、とんでもなく底意地の悪い新作との印象が増す。

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本当にそれを意図したのかは推測の域を出ないが、過去作でもプレイヤーの介入を罪に問うてきたシリーズだ。あながち、間違っていないのかもしれない。

ゲームとしては間違いなく正統進化と言える出来。いつものファークライである。だが、”いつもの”であることに何らかの意味が込められているのでは、と疑ってしまう内容になっている。

前作クリア済みで、まだプレイされていない、あの続きが気になるなら、プレイしてみて欲しい一本だ。前作未経験者は、主に物語において前提となっている部分が沢山あるので、一旦、遊んでからがお薦めだ。

果たして、この自由な世紀末で何を感じるだろうか。

ゲームとしての進化か。或いは制作者の悪意か。

++++
© 2019 Ubisoft Entertainment.
『ファークライ ニュードーン』公式サイト

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この記事を書いた人

新旧のゲームを遊びまくる人。ひよっこライター。もぐらゲームスなどゲーム系メディアへ寄稿中。

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