ichiro実はイチローと同い年だ。誕生日も3日しか違わない。

だからといって何か特別な絆が生まれることはまったくない。当然だ。何しろ向こうは世界のイチローで、一方のこちらは猫たちのカリカリ代を払うのにも窮する、しがないフリーランサーである。

はなから比べるのは間違っている。そんなこたあ百も承知だ。

それでも現実としてこの3日の差というのは、私のこれまでの人生において、ある種の尺度となっていたという側面は少なからず、ある。

例えばイチローがオリックスで何億も稼いでいた頃、私の稼ぎは月11万くらいだった。もちろん血のにじむような努力を重ねて一流プレイヤーになったイチローと、日々麻雀に明け暮れていた私なんかとでは、それくらいの差がついたって仕方がない。仕方がないが、それでもこの「3日しか違わない」という厳然たる事実は時に、「イチローとは3日しか、3日しか違わないのにッ」と私を喘がせるには十分であった。

そしてイチローがメジャーへ渡った2001年、私もカナダへ渡った。ワーホリで。特に何かやりたいことがあったわけではなく、いちおう大学も英語学科だったので、ただ漠然と、一度は海外で暮らしてみたかったのだ。

着いた先はカナダのナイアガラフォールズ。かの大瀑布を擁するこの観光地で、私はギフトショップの店員として、ビーバーの襟巻やらアンモナイトの化石やらを、観光バスで大挙して乗りつける日本人ツアー観光客(主におばちゃん)に売りつける使命を仰せつかった。

客ばかりかスタッフの大半が日本人であるその店では、英語なんぞろくすっぽ喋らず、自分の思い描いていたドラマチックな海外生活は毛ほども見つからなかった。それでもまあ「ビーバー襟巻販売の鬼」みたいな凄腕の下につき、巧言令色を弄して怪しい襟巻を売りまくる日々はそれなりに楽しいものだった。

その年、イチローはメジャーのMVPを獲得した。
誕生日が3日違いの私は、ビーバーの襟巻をいっぱい売って系列レストランの無料お食事券を獲得した。

3日の差はむしろ広がっているようだった。それでもこの頃、成金趣味が服を着ているようなギフトショップの社長から社員になってみないかと請われ、おそらく生まれて初めて、麻雀のメンツ要員以外で社会的に必要とされるという経験をした。実際にはワーホリのスタッフを片っ端から口説いていたわけだが、それまであまり縁のなかった自尊心ってやつをいくばくかは得られた。

その後はギフトショップからホテルへと河岸を移したのち、私は日本へ戻った。一方のイチローはもちろんアメリカに留まり、現実とは思えないような成績を息をするように残し続けた。

そんなイチローが引退した。

もちろん、3日の差は埋まらないままだ。当たり前だけど。

それでも今は青色で確定申告もできるようになったし、マンションの理事長も(くじ引きで負けて)務めたりしたので、その差は1ミリくらい縮まったような気がしないでもない。

とにかくイチロー、お疲れ様。あなたは間違いなくスターだった。

(イラスト by Yumi Imamura

 

 

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