ふと、真夜中にどうしようもなくクサクサした気持ちになることがある。

その気持ちは例えば、いつか迷って買わなかった素敵な指輪への未練だったり、あるいは未来への漠然とした不安をともなうアレルギー性鼻炎に苛まれることだったりするのだけれど、とりわけその不安がやってきたときに思い出すのはクラシックの名曲『G線上のアリア』だ。

『G線上のアリア』。ヨハン・ゼバスディアン・バッハの作曲したバイオリン曲で、曲名は19世紀に行われた編曲において4本あるバイオリンの弦のうち一番低い音の弦、すなわちG線のみで演奏できることに由来する。

別に、G線だけで演奏しなくてはいけないわけではないのだけれど。私はこの『G線上のアリア』を耳にするときにはいつだって、「この曲弾いているときにG線が切れたらどうするんだろう……」という、いらん心配で居ても立っても居られなくなってしまうのだ。

真夜中に突如としてやってくる、どうしようもないクサクサした気持ちは、多分G線を心配する気持ちに似ている。そのイライラや悲しみを抱えて明日の朝を迎えるのがどうしようもなく不安な夜。私はいつだってキッチンに立つ。

***G線上ミッドナイトキッチン***

真夜中の2時。リズミカルに包丁を動かしているとイケナイことをしている気持ちになる。クサクサした気持ちを切り刻むように、まな板を鳴らすのだ。

やけ食いのため?
否、ちがう。私は、明日食べる、夢みたいに美味しいものを作るためにキッチンに立っている。明日が来るのが怖いとか、布団に入るのが恐ろしいとか、そういう気持ちを紛らわすために若い頃にはたくさんお酒を飲んだりした。けれど、気絶するみたいに眠った翌朝に残されているのは超汚ねえ部屋とボロボロのお肌だけだった。

そんなある日のことである。
私は気まぐれに、お刺身を買った。奮発したわけだ。それなのに、その夜、またクサクサした気持ちになってしまった私は食欲を無くし、お刺身を食べることができなかった。

いや、でもねと。
私は考えた。
お刺身、めちゃくちゃ高かったのだ。スーパーの半額シール付きでも800円くらいした盛り合わせなのだ。明日には傷んでしまうかもしれない。
冷蔵庫には先週買ったアボカド。
そうして、私は考えた。
そうだ、この刺身……漬けにしようと。

***

【お刺身とアボカドの漬け丼】
明日になったらもっと美味しい、とろけるアボカドと旨味凝縮のお刺身の共演。

材料
お刺身盛り合わせ 1パック(今回はまぐろ・まだい・はまちの合計12切れ入り)
アボカド 1個
☆しょうゆ 大さじ3
☆料理酒 大さじ2
☆みりん 大さじ1
にんにく ひとかけ
ごま油 お好みで
白ごま お好みで

⑴清潔な保存容器に☆を全てあわせ、スライスしたにんにくを入れる。お好みでごま油や白ごまを入れても◎
⑵皮をむき、半分に切ってスライスしたアボカドとお刺身と⑴の漬けタレにしっかりと浸るように入れていく
⑶材料が空気に触れないようにラップを落として、容器のフタをする
⑷冷蔵庫で30分〜ひと晩漬けて、ごはんに載せていただく

***

容器いっぱいに詰め込まれた刺身とアボカドを眺めていると、調理の途中でクサクサした気持ちがすっかりと溶けてしまったことに気がつく。明日の朝、目が覚めたら美味しいごはんが待っている。そう考えると、ひとりキッチンに立っていた私を世界中の何らかの徳の高い人たちがめちゃくちゃ祝福しているように感じられて、安心してぐっすり眠った。

次の日の朝、チンしたサトウのごはんに漬けタレをたっぷりまとった刺身とアボカドを贅沢にのっけて、朝ごはんにした。すげえ美味しかった。やったぜ、最高。

それからというもの、私はときどき真夜中にキッチンに立つ。

戦場みたいな都会の片隅、いつブチ切れるかわからないG線で必死にアリアを奏でながら、クサクサした気持ちを、明日への不安を、夜のしじま……静寂の中で丁寧に丁寧に仕込むご飯でやっつけるのだ。戦うように、奏でるように、祈るように。

ーー明日の食事を仕込む夜は、たぶん祈りに似ている。

 

 

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