【映画レビュー】死者となって死後の世界を見つめる92分間『ア・ゴースト・ストーリー』

ゴーストストーリー
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(by 冬日さつき

小さい頃、わたしはいまよりもずっと死を恐れていた。なにげなく遊んだ占いのゲームに「あなたの寿命は36歳です」と伝えられ、それからしばらく毎日布団の中で死について考えていたのだ。ちょうど当時の母の年齢がそれとほとんどおなじだったこともあって、わたしはその運命を受け入れようと必死だった。

死からは逃れられない。そのとき、子どもながらにわかったことのひとつだった。

それから月日が流れ、大人になったわたしは映画『A Ghost Story/ア・ゴースト・ストーリー』で死んでしまった者の目を通して世界を見ることになった。

小さな一軒家に住む若い夫婦のC(ケイシー・アフレック)とM(ルーニー・マーラ)は、幸せな日々を送っているが、家をめぐってふたりのあいだには小さな確執が生まれている。そんなとき、夫Cが不慮の交通事故で突然の死を迎える。

登場人物には、それぞれはっきりとした名前がない。デヴィッド・ロウリー監督はその理由について、「特定の登場人物にフォーカスしたくなかった」とインタビューの中で語っている。あくまでこれはCとMの映画ではなく、ゴーストの映画であるのだと。

呆然としながらも病院で夫の遺体を確認するM。Mが去ったあと、死んだはずのCはシーツをかぶった状態で起き上がる。目の部分だけがくりぬかれたシーツをまとい、病院からふたりが一緒に暮らした自宅へと歩いて帰っていく。その見た目は小さい子どもがゴーストの仮装をしているみたいだ。そして、部屋の中にしずかにたたずみMを見守る。表情が見えなくても、じぶんのいなくなった世界を見つめるやるせなさや切なさが伝わってくる。もちろんMは、そこに彼がいることに気がつかない。

残した者と残された者が共存する空間では、Cの不在という事実がさらに際立つ。Mが4分間チョコレートパイを食べ続けるシーンでは、深い悲しみがある種まっすぐに表現される。Cはそれをただ、見続ける。そうすることしかできないからだ。悲しみにくれるMを慰めたり抱きしめたりできないのは、座席に座り、スクリーンを見つめているわたしたちも同じだ。

時間を超越した存在でありながら、Cが身にまとうシーツはすこしずつ汚れていく。それは可視化された想いのようにも見える。かつてわたしは、死ぬということは、もう二度と変化しなくなるということなのだと思っていた。しかしどうだろう、魂の浄化への道は、自身の内面の変化にしかないのかもしれない。

開かれたパーティーである男はこう主張する。「いつかすべてが消え去るのだから、あらゆる創造物は無意味である」と。それをCは聞いているが、それでも残されたものを求めつづける。

ひとり残らず、いつかこの世を去る。92分のあいだ、わたしは死者となり、死後の世界を見つめた。わたしが幽霊になったときには、どんな旅をつづけるのだろうか。じぶんが生きたことにどうやって意味を見いだすだろうか。

死の先には何があるのか? この映画はそれを問う。ラストシーンを頭の中で何度も反芻し、子どもの頃のように布団の中で死について考えをめぐらせながら眠りについた。

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『A Ghost Story/ア・ゴースト・ストーリー』公式サイト

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この記事を書いた人

校閲者、物書き。

新聞社やウェブメディアなどでの校閲の経験を経て、2020年フリーに。小説やエッセイ、ビジネス書、翻訳文など、校閲者として幅広い分野に携わる。「灰かぶり少女のまま」をはじめとした日記やエッセイ、紀行文、短編小説などを電子書籍やウェブメディアで配信中。趣味のひとつは夢を見ること。

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