『割りの良いバイト②』

前回までのあらすじ
『効率厨』で一流大学入学まで駆け上がってきた小松崎つむぎ。しかし、バイトに精を出しすぎた結果の寝坊により留年&奨学金の支払い停止が確定してしまった。フランス語講師の朝比奈から紹介された法外に割りのいいバイトの面接に行く途中、チンピラに全力で上段回し蹴りをキメる美女と出会った。

 

「……ふざけているのか、君は」
やってきた警官は、上段回し蹴りの天使に言った。
「いいえ。至って大真面目です」
天使は答えた。私は思う。
「あ、この人ヤベェやつだ」と。
なぜなら。ふと気がつくと上段回し蹴りの天使はその冗談みたいに美しい顔をお面で隠していたのだ……地面から拾い上げた、赤レンジャーのお面で。
警察というちょっとした国家権力を前にして、正義の味方の権化である赤レンジャーのお面を躊躇なくかぶる美女がまともなわけがないのだ。
っていうか、私物なの、それ。
完全にヤベェ。

私の通報から十数分でやってきた警官に連れられて移動した交番。
結局、事情聴取と(主に頑なに赤レンジャーのお面を頑なに取らない天使のせいで)お説教は一時間ほどかかった。新しいバイトの面接は、大変不本意ながらバックれということになるだろう。
紹介してくれたのにごめんなさい、朝比奈さん。
そういえば面接相手の名前も知らされていないことを思い出した。今回は縁がなかったのだろう。
ふう、とため息が漏れる。
やっと解放されたときにも、美女は赤レンジャーのお面のままだった。どういうわけか、お咎めなしとなったようだった。
上段回し蹴りは明らかに過剰防衛というやつだろうと思うのだが、まあでも、このめちゃくちゃ美しい人が一連の騒ぎで膝を擦りむいたのだ。あながち過剰というわけでもないのかもしれない。
「お面……取らないんですか」
「取りません」
「そうですか。似合ってると思います」
「どうも」
赤レンジャーのお面に似合うもクソもないけれど。
結局、別個に行われた取り調べの最中は知らないけれど、彼女はついに赤レンジャーのお面をとることはなかった。

こちらは女性ふたりということで、原因がチンピラとのいざこざということもあってパトカーで送迎してもらえることとなった。VIP待遇だ。
彼女は、どういうわけだかチンピラに襲われていた(そして上段回し蹴りをかました)現場を送り先に指定した。私はというと、駅前に送ってもらうのが効率的だったのだけれどとりあえず同じ場所に下ろしてもらうことにした。
理由は……、正直に言ってしまえば、もう少しだけこの綺麗な人と一緒にいたいと思ったからだ。ちょっと気持ち悪いなと我ながら思う。
パトカーで送ってくれた警察官にお礼を言ってパトカーを見送る。真っ赤なテールライトがすっかりと夕暮れになってしまった街に溶けていく。
そうしてやっと、赤レンジャーのお面を外した美女は、庵財クロエと名乗った。

「あなた、聖人君子か何かなの?」
不意に、庵財クロエの美しい声が隣から響いた。
「え?」
「だって、他人のいざこざなんて見過ごしていればよかったはずでしょう。むつくけき男性を何人も相手どって通報の真似事なんて、逆上して何されてもおかしくなかったでしょうに」
むつくけき、ときたか。
見た目もそうだけれど、使う言葉が古風で美しい人だなと思った。
「えっと……昔から、どうにも短絡的なところがあって」
「そう。勇気と無鉄砲は紙一重、といったところでしょうか」
後先を考えないタイプ、とはよく言われていた。
問題なんてさっさと解決してしまったほうが効率的だ、と思うのだけれど、ときには「空気が読めない」とか「女らしくない」とか、色々なことを言われたものだ。
「随分長い時間を取らせてしまったわ。何か予定があったのでは?」
「予定……あー……」
バイトの面接。
完全に怪しげな求人だったけれど、無断で欠席というのはどうにも収まりが悪い。
見上げれば、数時間前に足を踏み入れるはずだったマンションの白く波立つ壁面が夕闇にひんやりとそびえ立っていた。どうしたものか。
「その顔を見るに、どうやら何か予定をおじゃんにしてしまったのかしら」
「はぁ、まぁ」
私は、正直に彼女に状況を話した。
このマンションの一室を訪ねる予定だったこと。連絡先もわからない状態で、結局約束をすっぽかしていること。そして、できれば先方に直接謝りたいと思っていること。
「あ、でも庵財さんのせいではないので!」
「はぁ。本当に聖人君子ね。そのまますっとぼければいいだろうに」
呆れたように言って、彼女はひとつの提案をしてくれた。
「一緒に、謝りに行ってあげましょうか。それからーー私のことは、クロエと呼んで」

バイトの面接会場になる予定だった、田町の古き良き高級マンション。
エレベーターは音もなく昇っていく。
隣に立つクロエさんからは、なんともいえない良い香りがした。
「あの、本当に一緒に謝ってくれるんですか?」
「もちろん。申し訳なかったわね。かくいう私も、本当に久々に来客予定があったのに浮かれてたの。お茶菓子がなかったもので、慌てて買いに出たらこのザマよ。ほんと、外出なんてするものじゃないわ」
と、肩をすくめる仕草も最高にサマになっていた。
「クロエさん、よく美人だって言われません?」
「ええ。言われるわね。ごく稀に」
稀なわけあるかい! と思ったけれど、その言葉は飲み込んだ。
彼女なりの謙遜なのだろうか。
「そういえば、あなたの名前を聞いていなかったわね」
「あ、私ですか。小松崎といいます。小松崎こまつざき
「紡ぎ、紡ぐ。いい名前ね……ん。最近もその名前を聞いたような気がするわね。どこだったかしら」
チン、という古風な音とともにエレベータが停止する。同時にクロエさんんが怪訝な顔で固まった。降り立ったのは、最上階の13階。
「あら、ちょっと待って。小松崎クン」
つむぎ、という名前を褒めてくれたくせに名前で呼んでくれないクロエさんであった。すこし、私はがっかりする。
「あなたの訪ねる部屋というのは?」
「はい、1301号室です」
フロアにひとつしかないドアを睨んで、私は答えた。
不可抗力だったとはいえ、連絡も無いままに約束の時間から四時間が経過している。怒られる。絶対に怒られる。っていうか、たぶん呆れられてしまう。緊張とともに、呼び鈴を押す。
ぴんポォーん、と間の抜けた音が響いた。
このチャイム音は万国共通なのだろうか。この絶妙に間抜けな感じは、こういう気まずい訪問の際に少しでも和ませようとしてくれているのかもしれないな。
伝統的チャイムの作曲意図に思いを馳せながら待つ。

返答がない。

もう一度、呼び鈴を押す。間抜け音。沈黙。返答、なし。
「お出かけ中、ですかね」
「えぇ。どうやら家主は久々に買い物に出たものの、あまり品の良くない手合いに絡まれたようですね。そして難儀しているところを大変親切なお嬢さんに助けられたみたいね」
「へ?」
かちゃり、と鍵の開く音。
なんの変哲も無い鍵が、私の横から伸びてきたクロエさんの手に握られていた。体が密着している。いい匂い。
「ここは私の家です」
「あ、え……っ?」
「今日は来客予定……私が募集しているアルバイトの面接予定があったの。ひさびさに応募があったのはいいものの、うっかりお茶請けを切らしてしまってね。慌てて買いに出かけたのだけれどーー」
アルバイト。面接。
じゃあ、もしかして。
「マンションを一歩出た瞬間にトラブルに巻き込まれるとは、慣れない外出なんてするもんじゃないわ。それにしても、朝比奈クンはリクルーターとして優秀ね。雇うのであれば良心のある善良な人がいいと思っていたのだけれど、……もう面接は必要なさそうだわ」
この人が、この麗しい女性が、庵財クロエが、私が今日面接する予定だった雇い主ということじゃないか? ほんとに、まじで?
ちょっと、出来すぎていやしないだろうか。
「今日は遅いからまた明日以降、都合がつくときにこの部屋にいらっしゃい。シフト自由。週1回以上勤務、1日1時間から。時給5000円。交通費全支給。それから……希望により三食まかない付き。業務内容については応相談でまた後日……何か質問は?」
いや、質問もなにも。
まるでフィクションみたいな展開に、頭がついていってくれない。
「じゃあ、明日からよろしくね。メイドさん」
赤レンジャーのお面を片手に、上段回し蹴りの天使が告げる。
え、メイド?
質問する間も無く、目の前でパレスロゴス最上階、13階1301号室の扉が閉まった。

田町から都営三田線三田駅に駆け込んで30分。神奈川の長閑なベッドタウンに帰りつく。なだれ込んだマイスウィートワンルームで、私は泥のように眠った。
提出が近い課題のことが頭をよぎったけれど、いまは眠るのが一番効率的だ。
だって、あまりにたくさんのことが起きて、脳がパンクしそうだった。

***

そして翌朝。
「いや、怪しすぎるだろ!」
目覚めた私は、思った。

常識外れの好待遇。
勤務先はマンションの一室。
超美貌の雇い主。
キレッキレの回し蹴り。
去り際に言われた、「明日からよろしく、メイドさん」という言葉。

怪しい。明らかに怪しい。
効率厨を自認する私からしても、明らかにリスクを感じる。
お断りしよう、そうしよう。
大学入学と同時に始めた天ぷら割烹居酒屋のバイトならば、シフトを融通してくれるだろう。
もうおじいちゃんと呼ばれる年齢の店長はとてもいい人で、私のことを孫のように可愛がってくれている。
バイトで睡眠不足。からの試験に寝坊。からの留年。
奇妙で怪しげなバイトに手を染めなくても、そんな悲劇は二度と繰り返すまい。
店長にさっそくメッセージを入れる。
『お疲れ様です。店長に相談があります』
『なんですか^^』
『今までよりもシフトの日数を増やしたいのですが、その代わり夜遅いのをどうにかしたいと考えていて。今日の出勤時にご相談させてください』
『了解! なんでも言ってください』
おじいちゃん、と呼ばれる年齢ではあるが、店長はSNSやら何やらに強い。
相談しやすいのも、こういうところが影響している。やっぱり、このバイトをメインにしよう。
バイト先を紹介してくれた朝比奈さんには申し訳ないが、庵財クロエさんにはお断りの連絡を。
そう思った瞬間に、大変な事実に思い至る。
私は、朝比奈さんの連絡を先を知らないのだ。語学の担当講師である朝比奈さんの講義では、レポート課題が出ない。
レポートのメール課題が出なければ、担当講師の連絡先を知ることもない。自明の理であった。なんてこった。
もちろんのことながら、『割の良いバイト』の雇い主である黒髪の超絶美人の連絡先も知らない。
知っているのは、彼女がなぜか放った上段回し蹴りの美しいフォームと、麗しきかんばせ、そして庵財あんざいクロエという名前だけだ。
「仕方ない、直接辞退しに行くか……」
ひとり暮らしのアパートでそう決心して、効率厨で留年生の私は今日も元気に立ち上がった。

《第3話に続く…》

 

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