【連載/部屋とシタデルペイントとウォーハンマー】第1話: 物心ついた時分からずっとゲームで遊んできた。

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先日、四十一歳の誕生日を迎えた。四十一になったときの心境は、これまでのどの年齢のときともちがった。三十になったとき、自分はまだまだ若いと思っていたし、当時は何者かになりたくて必死で、立ち止まってものを考える余裕はあまりなかった。四十になったときも同じで、口では“おっさんになっちゃったなあ”などと言っていたが、本心では全然そんなふうには思っていなかった。

でも四十歳から四十一歳になるまでの一年間に、冗談抜きでおっさんになってしまった。心ではなく、体がそうなってしまったのだ。たとえばある夜、風呂で体を洗っていると、自分の耳の穴からふさふさとした毛が伸びていることに気づく。耳毛だ。耳毛? 今どきそんなものを生やしているのは、九十歳くらいのじいさんだけだと思っていた。この耳毛をどうしたらいいのか、全然わからない。剃るのか? それがエチケットなのか? でもどうやって?

それだけじゃない。肩凝りも眼精疲労も慢性化している。虫歯なんてほとんどなかったのに、上の左側あたりに黒い穴ぼこができつつあるのを感じる。ひげや鼻毛にも白いものが交じりはじめている。爪もなんか縦に線が入るようになってきた。

それにひきかえ、息子はどうだ。二歳になったばかりの息子は、それこそキッチンペーパーが水を吸うように、日々新しい能力を獲得している。誇張ではなく毎日、昨日までできなかった何かができるようになっている。その一方で、自分は昨日できていたことが明日にはもうできなくなっているかもしれないと恐れている。日々退化しているように感じている。

そんなこんなで、自分に残された寿命についてよく考えるようになった。仮に八十歳まで生きたとして、残り三十九年。もう折り返し地点は過ぎている。運よくそこまで生きられたとしても、七十にもなれば体は動かず、歯は総入れ歯、眼は老眼で本だってろくに読めず、耳も聞こえず、毎日病院通い。現状の健康状態を多少なりとも維持できるのは、せいぜい六十までといったところだろう。となると、残り約二十年。

二十歳から四十歳までの二十年を振り返ってみると、あっという間だったような気がする。それと同じように、自分が健康的に過ごせるであろう最後の二十年もあっという間に過ぎてしまうにちがいない。

ずっとゲームが好きだった。物心ついた時分からずっとゲームで遊んできた。しかしゲーム好きというのは、実は“何も好きではない”と言っているに等しい。何百本のゲームで遊ぼうと、そのうちのひとつとして、自分が極めたと思えるゲームはない。おもしろそうな新作ゲームが出ればなんとなくプレイし、一ヵ月もしないうちに飽き、また別の新作を買う。その繰り返し。プレイする機会もないのにボードゲームを買うだけ買い、「コンポーネントを眺めてるだけで満足」なんてうそぶいている。

でもほんとうはもう、そういうのに疲れてしまったのだ。ほんとうは満ち足りていないのだ。何かひとつのことを突きつめたい、ひとつのことを極めたいと思っているのだ。

最近になって僕がウォーハンマーに熱をあげるようになったのには、たぶんそういうもろもろが関係している。

(2)へ続く…

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この記事を書いた人

ボードゲームを愛する、文芸&ゲーム翻訳者。翻訳作品『VA-11 Hall-A(ヴァルハラ)』(ゲーム)『ダンケルク』『コールド・コールド・グラウンド』(文芸)等多数。

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