~名誉と報酬をめぐる物語としての格闘技〜
格闘技社会的に得ることのできる名誉と、仕事の対価である報酬にはどんな関係があるのだろうか?

この関係を考えるうえで、少し前のMMA(※打撃、投げ技、関節技が許される総合格闘技の正式名称)以上に適したジャンルはない。ふたつの価値がドラマチックな展開を見せる、おそらく唯一のジャンルだからだ。今回は格闘技を通した名誉と報酬についてのエピソードを紹介しよう。

格闘技のプロとアマの極端な溝

スポーツで結果を出した選手の名誉は、誰が見てもわかる。首に掛けられた金メダル。表彰台のいちばん上に立った姿。後の人生でも繰り返し語られるだろうし、よほどのことがない限り、得た名誉も揺るがない。

だが格闘競技に関しては別だ。柔道やレスリングは他のスポーツと違い、結果を求めるアマチュアからプロへと転向するときその名誉は揺らぐ。というのも、アマとプロの意味合いが極端に異なるからだ。

たとえばアマチュアレスリングとプロレスリングはまったく違う。そもそもプロレスは競技ですらない(あまりにも違いすぎるので、この例は不適当かもしれない)。興行スポーツとしてプロ柔道などが成立していないことを考えても、プロとアマとの誤差はとても大きい。誤差の小さい格闘競技はボクシングしかない。

格闘技ではアマの名誉だけでは生活していけず、プロとして報酬を求め、転向するとき、特に名誉について考えさせる物語が生まれる。いくつかの試合は、社会的に得られる名誉と報酬についてを深く考えさせるのだ。

柔道家ユン・ドンシクの名誉

2007年、ひとつの名誉と報酬を考えさせる試合がある。舞台は韓国の柔道界と日本の格闘技界。そこにひとりの優秀な柔道家がいた。ユン・ドンシク。彼は国際大会で47連勝を挙げ、日本の古賀俊彦にも勝利した、90年代の韓国柔道界を代表する選手だった。

実績を見れば、いずれオリンピックに出場し、名誉を得ることが約束されているように思えるだろう。だがそうならなかった。韓国の学閥主義が彼を阻んだからだ。オリンピックの選手に選ばれるためには、特定の大学に所属している必要があったのだ。

その大学こそ龍仁大學校である。オリンピック選手を選考する韓国柔道界のトップは、この大学の出身者で構成されている。前身は大韓柔道学校を名乗っており、文字通り柔道を押し出した大学と関係した選手でなければ、オリンピック代表に選ばれることは難しい。

龍仁大學校出身の柔道家で、オリンピックの名誉を手にした人間は少なくない。その中にアトランタオリンピックに出場し、重量級で銀メダルを獲得したキム・ミンスもいた。彼はその後MMAに転向する。あとにユンと同じ格闘技イベントで試合を行い、名誉と報酬のコントラストを見せることになる。

ユンは漢陽大学校の出身で、龍仁大學校の傘下ではなかった。権力に絡まない立場だったために、オリンピック代表の選考試合では不可解な負けにされてしまう。一本をとった手応えであっても「技あり」「有効」と判定され、勝つことができなかった。

柔道は西洋スポーツのように、絶対的なルールで運用されていない部分がある。レスリングやフェンシングでは不可解な判定に対し、選手が異議を申し立てられる「チャレンジ」と呼ばれるルールがある。だが柔道にはない。なので審判側の主観にならざるを得ないこともある。

韓国柔道の主観には政治事情が入り込んでいた。ユンの師匠は「あまりにもひどい判定が多い。信じられないものまであった。」と語り、のちに柔道界から去ってしまう。ユンはそれでも絶対に一本を取る勝ち方を目指した。

それは相手の首を絞め落とすことか、腕を極め、相手から「まいった」と負けを認めさせることだった。そう、ユンは寝技での腕ひしぎ十字固めによる完全決着を目指したのである。この技が彼を象徴する必殺技となった。

しかし腕ひしぎ十字固めの勝利でも、オリンピックの代表選手に選ばれることはなかった。結局のところ、ユンは社会的に揺るがない名誉を手にすることはできなかったのである。

柔道とMMA

ユンに限らず、MMAと柔道の間には名誉と報酬が歪んだかたちで現れる。社会的な名誉とプロに転向したあとがあまりに違うからである。日本でもオリンピックメダリストの柔道家たちを見ればそうだ。小川直也、吉田秀彦、そして瀧本誠や泉浩、石井慧らがMMAに転向した。彼らのケースはメダリストの名誉がそのままプロに持ち込まれるわかりやすさがある。

韓国の柔道界もMMA転向が相次いだ。しかし、アマの名誉をそのままプロの報酬に変えることと違っていた。龍仁大學校に関係しない柔道家はオリンピックに参加さえかなわず、キャリアを絶たれてしまう。そこで日本とアメリカでMMAの市場があったため、何人かの選手がプロの格闘家へとキャリアを切り替えたのである。ユン・ドンシクもそのひとりだった。

MMA転向が相次いだことを、関係者はこう分析した。学閥主義により、オリンピックの名誉から遠ざかったことを払しょくするため、別の形で名誉を取り戻そうとMMAでの成功を願っているのではないか?

ユンは2005年にPRIDEと契約し、プロ格闘家としてデビューした。日本最大の格闘技イベントから華やかなスタートを切った。しかし始めから彼の技術が発揮されることはなく、4連敗を喫してしまう。

これがどれだけ厳しいことか伝わりづらいかもしれないが、一戦一戦の結果はいささか重い。MMA選手は平均して年に3~4試合ほどしか行わず、選手としての市場価値にも関わるし、本人のアイデンティティにも影響はある。3連敗目から引退を考え始めるとも言われている。

さらには契約していたPRIDEは暴力団と関係するスキャンダルが発覚、のちにUFCに買収され消滅する。ユンは別の団体に移籍し、5戦目を迎えようとしていた。

ロスアンゼルス・メモリアル・コロシアムでの決戦

ユンのキャリアのターニングポイントとなった試合は、生きた廃墟みたいなイベントで行われた。

2007年6月7日、アメリカで開催された日本の格闘技イベント『Dynamite!! USA』がロスアンゼルス・メモリアル・コロシアムで行われた。1932年と1984年のオリンピックで開会式が行われた場所であり、およそ54000人もの観客を集めたと公式から発表された。当時のMMAイベントでは最大の観客動員数といわれている。

だが実際には違った。現地で観戦した「Acai Cafe」のmariaさんによれば「7万枚は無料で配るつもりだったとかいう話も?」、「無料で配りまくってるのはほんとです」なんて状況のようで、有料チケットを買った観客は公式発表の6分の1にも満たないらしい。当時イベントの運営会社は窮地に立たされており、虚像だとしても巨大イベントを成功させたように見せる必要があった。

メインイベントは世界最大のプロレス団体WWEのトップレスラーだった、ブロック・レスナーのMMA転向デビュー戦、チェ・ホンマンとの試合である。観客のほとんどはホンマンを目当てにした、ロスアンゼルス近郊に住む韓国人だったそうだ。だがホンマンは欠場、代わりにオリンピック柔道銀メダリストのキム・ミンスが出場した。奇しくも、この大会で韓国の柔道で名誉を得た選手と、名誉から離れた選手が揃うことになった。

対照

ユンが対戦した相手は、オランダの格闘家メルヴィン・マヌーフである。マヌーフはユンとなにからなにまで真逆の選手だ。「猛獣」のニックネームを持ち、剛腕の強打で相手を打ちのめすファイトスタイルはもちろん、プロ格闘家としてのスタンスもまるで違う。

マヌーフは自らの仕事のためなら、体重が何十キロも上の選手と闘うこともいとわない。ケガの治療で肺にチューブが入ったまま闘ったことさえある。オランダの格闘技界は、名誉を求める純粋な選手よりも、報酬で動く危険な選手を輩出してきた。彼はその系譜に連なる選手と言える。

ユン・ドンシクvsメルヴィン・マヌーフは寝技と打撃の対照だけではなかった。名誉と報酬のコントラストがそのままリングに上がっていた。試合開始直後、マヌーフの強打がユンに襲い掛かる。そのまま倒れこみ、マヌーフの打撃が次々と放たれていく。

試合はいつ終わってもおかしくなかった。だがユンは1Rをしのぎ切る。決定打を避けることができたのは、彼の組技能力に他ならなかった。マヌーフが仕留めようと接近してきたところに合わせ、組みあい、投げをうつことで自分のペースに引き込んでいたからだ。寝技ではユンが圧倒していた。

ユンの右目は腫れあがった。しかし1Rの展開で確信を掴んでいた。2R、ユンはすぐさまにマヌーフを投げ、マウントから打撃を放っていく。1Rから逆転し、ユンはあの技を極めた。腕ひしぎ十字固めだ。韓国柔道界を生き残るために洗練させ続けた技が、ついにMMA初勝利へ導いた。

名誉と報酬

「まるでロッキーみたいだった」あるコラムはユンが勝利した姿をそう評した。どんな試合でも荒々しく闘うマヌーフが、負けて、セコンドの胸の中で涙を流したのもおそらくこの試合だけだ。

会場に集まった在米韓国人たちは沸いた。イベント運営会社が突貫で作り上げた、蜃気楼みたいなビッグイベントで、オリンピックとかかわりが深い舞台で、ユンは声援を受け続けていた。その光景は本人に起こらなかった、オリンピック代表として国民から祝福されたかもしれない白昼夢のようだった。

メインイベントでは、キム・ミンスはわずか1分でブロック・レスナーの打撃に沈む。銀メダリストが気鋭の選手のデビューを盛り上げるために、わずか1分で破れた。キム・ミンスはぼろぼろの戦績のまま、やがてMMAからフェードアウトしてしまう。

ユンはマヌーフから勝利したことをきっかけに、連勝を重ねていく。やがて韓国を代表するMMAファイターとして評価されるようになり、今も選手を続けている。ユンは柔道時代に経験しただろう、人生の欠落を取り戻せたのだろうか?彼が歩んだキャリアとメルヴィン・マヌーフとの試合は、名誉と報酬についていつも考えさせられる。

(参考文献:「魔王 秋山成勲 二つの祖国を持つ男」田中太陽:著、「Acai Cafe」)
(イラスト by 葛西祝

 

 

 

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