【映画レビュー】シャマラニストたちよ、快哉を叫べ『ミスター・ガラス』

ミスター・ガラス
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ミスター・ガラス

(by とら猫

叫べ、快哉を。

シャマラニストである君は今まで幾度となくセンスを疑われ、鼻で笑われ、肩身の狭い思いを味わってきたにちがいない。当然だ。

宇宙人の侵略をお茶の間レベルで描いた『サイン』、植物によるテロという斬新すぎるコンセプトで主演のマーク・ウォルバーグをして“失敗作”と言わしめた『ハプニング』、第27回ゴールデンラズベリー賞で監督賞と助演男優賞(どっちもシャマラン)の二冠に輝いた『レディ・イン・ザ・ウォーター』など、『シックスセンス』で獲得したファンをざくざくと間引きしていった、凶悪な作品群を人知れず愛しつづけることの苦悩を思うと、胸が痛くなる。

だが、そうした暗黒時代は去った。シャマランはついに『ミスター・ガラス』によって、自身がひとつも間違っていなかったことを世界に証明してみせたのだから。

世間が大きく勘違いをしているのは、誰もが代表作として挙げる『シックスセンス』こそが実は、シャマランのフィルモグラフィの中では異質すぎる正統派のサスペンスであるということだ。妙に撮り方がこなれているので“ヒッチコックの再来”などと祭り上げられてしまったが、シャマランの本質はすべてが美しく収束するどんでん返しサスペンスではなく、『サイン』や『ヴィレッジ』のようにむしろ風呂敷を広げまくって収拾がつかなくなったところで、人類にとって普遍のテーマ――“愛”をミニマムな視点から大マジメに描くということにある。

そう、シャマランはサスペンスの名手ではなく、救いようのないロマンチストなのだ。ひねりの効いたコンセプトを持ってくるため誤解されがちだが、彼が描くのは常にピュアな、さまざまな形の愛なのである。

そんなシャマランだが、ウィル・スミス親子の見本市と揶揄された『アフターアース』ではついに、マーケティング素材から監督シャマランの名が伏せられるという屈辱的な事態にまで発展し、いよいよ『シックスセンス』の貯金を使い果たした感があった。

おれたちの信じていたシャマランは幻想だったのか…

そんなシャマラニストの想いを汲んだかのように、シャマランは仕切り直しに入る。

つまり『シックスセンス』でやった時と同じように、『ヴィジット』という比較的わかりやすいシャマランホラーで再び映画ファンの心をつかみ、金と名声を補充したところで、駆け出しの頃からの宿願であった『アンブレイカブル』三部作の完結に取りかかったのである。

こうして創られた『スプリット』、そして『ミスター・ガラス』はシャマランらしいロマンチシズムと風呂敷の広げ方、あくまでもミニマムな視点がすべて詰まった、シャマラン芸の集大成ともいうべき作品に仕上がっている。

シャマランは本作のプロットをすでに『アンブレイカブル』の撮影時から温めていたというから、どうかしている。これほど荒唐無稽なストーリーに独創的すぎるキャラクターたちを絡ませ、最終的に現代社会へ警鐘を鳴らすと同時に希望すら与えてみせる、等身大の物語へと着地させられる監督がほかにどこにいるというのだ。君は今、映画という名の魔法の実例を見ているのである。

『ミスター・ガラス』の成功によって、シャマランはついに『シックスセンス』以来背負ってきた重い十字架をおろすことができた。今、世界は真のシャマランを知った。もう“『シックスセンス』の…”と呼ばれることはないだろうし、キャリアを先取りしすぎていた過去の作品の再評価もなされるだろう。世紀の駄作と嘲笑された『エアベンダー』の続編だって制作されてもおかしくない。

だから快哉を叫べ、シャマラニストたちよ。

これからもう堂々と、一切の引け目を感じることなく「シャマランの最高傑作は『サイン』だ!」と宣することができるのだから。

++++
(c)Universal Pictures
『ミスター・ガラス』公式サイト

ミスター・ガラス

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この記事を書いた人

本サイトの編集長たる猫。ふだんはゲームとかを翻訳している。翻訳タイトルは『Alan Wake』『RUINER』『The Messenger』『Coffee Talk』(ゲーム)『ミック・ジャガー ワイルドライフ』(書籍)『私はゴースト』(字幕)など多数。個人リンク: note/Twitter/Instagram/ポートフォリオ