『割りの良いバイト①』

第0話からの続き》

高校時代までは冗談のひとつも通じない真面目キャラだった。
というか、今でもそうだ。冗談とか、うわっつらの友人同士の付き合いとか。そんな非効率的なことは性に合わない。
私が、経済学部に進学した理由も『経済』というからには文学や法学よりも実生活に役立つのだろうと予想してのことだ。

だから、東京で二年間大学生活を送った私がわざわざ鈍行片道二時間の里帰りをして「ごめん、留年した」と告げたとき、母も何も言わなかった。正確には、「大学ってところは大変なのねぇ」とため息をついた。
私が幼い頃に亡くなった父も、そして女手一つで私を育ててくれた母も高卒だ。そのことでずいぶん苦労もしてきたらしく「ぜひ娘には高等教育を」、ということで、私を東京は宝永義塾大学へと進学させたのだ。

それなのに、本当にごめん。私が留年をした理由は、……母には口が裂けても言えない。

***

「それで、小松崎さん。一体どうして試験を受けに来なかったの?」
いま、目の前に座る男の言葉に、私はぽつりとつぶやく。
「今思えば、意地をはる場面を間違えました」
「はぁ」
首をかしげる彼、は宝永義塾大学大学院文学研究科の博士課程所属。
名前は朝比奈哲哉あさひなてつやさん。
冴えない風貌の三十代男性だ。
私が所属する経済学部の第二外国語……フランス語の担当をしていて、若手で面倒見がいいので評判の非常勤講師である。朝比奈さんは例に漏れず私にも非常に良くしてくれて、進級後のゼミ選びの相談まで乗ってくれる兄貴肌だ。こういった人間関係は非常に効率がいい。コネってやつだ。
まあ、私は晴れて留年したわけでその相談は無意味なものになってしまったのだけれど。

朝比奈さんは困ったように笑う。
「いやあ、テストを受けてくれないと流石に単位は出せないよ」
「はい、おっしゃる通りです。すみません」
私は、数ヶ月前に行われた必修のフランス語の試験を受験しなかった。そして、あえなく留年である。
「それにしても、頭の痛い話だ」
新学期の始まる本日この日に、留年生であるわたしと朝比奈さんとは運命的に大学のキャンパスで顔を合わせた。順当に三年生に進級していたら、今頃は東京タワー煌めく田町キャンパスにいるべき人間がいまだ神奈川県のキャンパスにいるのを目撃されたのである。
気まずさに小さくなる私に、朝比奈さんは少しだけ困った顔をして学食で無料供給されている薄い緑茶をご馳走してくれた。めちゃくちゃ惨めな気持ちの今は、カフェの濃いコーヒーは苦すぎる。お白湯のような緑茶の薄さが、逆にありがたかった。
「僕に力になれることがあれば言ってくださいね。君、授業態度も小テストの出来も文句なしに優秀だったんだから」
「親に頭を下げて仕送りをお願いしておくべきでした。母には試験の結果が思わしくなかったから留年したと伝えてあります」
「なるほどね」
朝比奈さんは神妙な顔をする。
運命のあの日、私は朝一番から行われる予定だったフランス語の試験を受験しなかった。
理由は、……寝坊である。

そう、わたしは寝坊により試験をブッチしてしまった。最悪だ。敗因が語学の才能のなさでもなければ、勉強不足でもなかった。ただただ、寝坊したのである。情けないことに、試験時間がすっかり終わったと同時に目を覚ましたわたしはヲンヲン泣いた。
その号泣の勢いそのままに学事や教授や朝比奈さんに泣きついたけれど、どうにもならなかった。
そう。親にも言えない留年の理由は寝坊である。
寝坊!!!!!!!!!!!
……大声で言っても変わらない。そう、寝坊して、留年した。さいあくだ。
ちなみに。
その運命の寝坊の原因は――アルバイトである。
母親に金銭的な負担をかけたくない、という理由で生活費を自分でまかなっていた私は、居酒屋の深夜バイトのシフトを連日詰め込んでいた。朝は週三回のコンビニバイト。短期イベントバイトも出来る限り詰め込んだ。
そんなことを話している内に、本当に頭痛でもしてきてしまったかのように朝比奈さんは眉間に皺を寄せた。
「アルバイトと大学生は、切っても切れない腐れ縁が結ばれてるようなものですが……」
生活を切り詰め、本来であれば学業に勤しむべき時間を切り売りして稼いだお金で一人暮らしをしていた。今思えば、くだらない意地だ。非効率極まりない。
「留年は金銭的に痛いですね」
「はい」
「ざっと、学費が90万円近く余計にかかるわけだ」
「一人暮らしを続けるなら、生活費や家賃を含めると200万円はくだらないかもしれません」
「なるほど。しかも、社会人として会社勤めするつもりなら卒業が一年遅れたことで定年までに勤務可能な期間が1年が消えたわけだ。生涯年収が減ったのと同様だね」
「うぐっ」
そこまでは考えていなかった。やばい。損失がやばい。
「君が得るのが世間一般の平均年収だととして……学費と合わせると500万近い損失なんじゃないかな」
「うぐうっ!」
痛い。痛すぎる。しかし、中退なんてことになったらいよいよ母親に顔向けできない。
「それに、留年中は奨学金もストップだろう」
「……そうなんです」
貯金を切り崩しどうにかお金をやりくりして、半期分の学費は払い込んだばかりである。
「後期学費をどうにかしなくてはいけないのですが、なかなか」
「まさか、深夜バイトを増やそうなんて思っていないよね?」
「うぐっ!」
その、まさかである。貧乏学生が自力で金を稼ぐにはアルバイトしかない。FXとか株とか無理だし。先立つものがない。学生起業家? そんなもの、架空の存在だ。
「感心しないなぁ。本を読んだり、映画を見たり……リフレッシュも必要だよ、大学は単位を取得するためだけの場所じゃない」
「単位がなければ卒業もできないし、割りの良い仕事につくことだってできないじゃないですか!」
私は少しムキになってしまう。だって、朝比奈さんは冴えないけれど、お金に困っているわけではないのだ。大学院へ進学できるのは、実家が裕福な人がほとんどなのだから。
本も、映画も、音楽も、まずは生きるための土台があって初めて楽しめるものだと思う。贅沢品だ。
どんな名著よりも、お金と単位をくれ。
私の本心は、ぶっちゃけて言えばそういうことだった。
「でも結局、寝る時間を削って実利を求めた生活は大損失に終わっているわけでしょう。少なくとも、現状は」
「でも……」
「正直、すごいクマですよ、小松崎さん」
「深夜バイトの方が時給がいいんですよ」
「でもそれで、身体を壊すどころか進級に関わる試験に寝坊したら元も子もないじゃないか」
「うっ」
正論、ありがとうございます。本当にありがとうございます。
でも、八方塞がりとはこのことだ。
学費を稼ぐには時間がかかり、時間がなければ規則正しい生活はできず、規則正しい生活を損なうと単位の取得は危ぶまれる。剣を握らなければお前を守れない、剣を握ったままではお前を抱きしめられない。バイトをしなければ大学には通えない、バイトをしたままでは単位を取得できない。
「個人的には、君に何らかの援助をしたいけれど講師と学生の関係では限界がありますね。僕も別の側面では学生なわけだし」
都会はドライだ。目の前の雇われ講師が、そんな状況の自分を救ってくれるわけがあるわけが――、

「そのかわりと言っては何だけど、割りのいいアルバイトを紹介してもいいですかね?」

――あった。

***

【求人内容】
シフト自由。
週1回以上勤務、1日1時間から。
時給5000円。交通費全支給。
希望により三食まかない付き。

「……まじですか?」と、眉間に皺を寄せた私に朝比奈さんは「大真面目ですよ」と答えた。
とりあえず面接だけでも、と示された住所は皮肉にも私がこの春から通う予定であった宝永義塾大学田町キャンパスの近くだった。朝比奈さんを通してアポイントメントを取り付けた空きコマにその住所に向かう。
完全に、普通のマンションだった。付け加えるなら、やや古めの高級マンションだ。波打つような白い壁と、お伽話のようなデザインのベランダの柵が特徴的。
やばいんじゃないか、これ。
私は直感的に思う。
マンションの一室で行われるアルバイトといったら、違法風俗やスワッピングや良くても違法薬物の売買の手伝いではなかろうか。朝比奈さんにそんな裏の顔が!
私は恐れおののいた。
都会怖い、めっちゃ怖い。
このまま引き返してしまおうか、と考えたけれども万が一、億が一の確率で本当に合法なバイトだった場合のことを考えて、恐る恐るマンションへと一歩を踏み出そうとした――そのときである。
ぎゃいぎゃい。
閑静な高級マンションに似つかわしくないダミ声に振り返ると、どこからどうみてもTHEチンピラルックの男数人に絡まれている女性がいた。冗談みたいなスカジャン着用の男たちの表情はやに下がり、とろんとした目つきに赤ら顔。なるほど、まごう事なき酔っ払いだ。
断言できる。なぜなら全員の片手にストロング系チューハイの缶が握られているからである。
「無視すんなよ!」
という言葉とともに片手を引っ張られた女が地面に転げた。はい、アウトです。
自慢ではないけれど考える前に身体が動くタイプである。そして、効率厨もといチキンでもある。気づけば片手に携帯電話を取り出して大きく息を吸い込んでいた。
「もしもーし!おまわりさん、えっと。はい、事件です!!」
これ見よがしに、大声で110番に通報する。
念のため通話は繋がっていたけれど、これにビビってTHEチンピラたちが逃げてくれればありがたい。
「やべっ!」
案の定、わたしの声に驚いたチンピラさんたちは自転車に乗って逃げ出そうとした。これで一件落着である。お巡りさんに事情を話して、電話を切ったらバイトの面接へ……となるはずだった。そのとき。
「待ちなさい」
鈴の転がるような声が響いて、目の前で信じられない光景が繰り広げられた。
「ぎゃべぶぅっ!?」
チンピラが珍妙な声をあげて吹っ飛ぶ。
さきほどまで地面に転げていた女性が立ち上がり、ダッシュからのフルスイングで、チンピラを蹴り飛ばしたのだ。
見事な上段回し蹴り。
めり込むハイヒール。……あわれチンピラは漫画みたいに自転車ごと宙に舞った。
私は言葉を失った。
理由は三つ。
ひとつは突如として目の前で発生した暴力沙汰に絶句したから。
ふたつめは、あまりに見事な上段回し蹴りに圧倒されたから。
そして、三つ目は。
「…………、お巡りさん。事件です。えっと、傷害事件です――」
長い黒髪をなびかせてチンピラを蹴り飛ばした女性。
彼女が、ちょっと問題だった。なぜって、それは、派手なアクションによってあらわになった彼女の顔が本当に、

「――天使が、チンピラを蹴り飛ばしました」

冗談にもならないくらいに。
完膚なきまでに、美しかったからである。

第2話に続く…)

 

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蛙田あめこ

小説書きです。蛙が好き。落語も好き。食べることや映画も好き。WEB小説『女だから、とパーティを追放されたので伝説の魔女と最強タッグを組みました(1)』発売中、「note」や「小説家になろう」でも、連載「スローな落語家と暮らしてる」「庵財クロエの百科事典」