(by とら猫)
前作『ボーダーライン』は掛け値なしの傑作だった。
『ブレードランナー 2049』の監督にも抜擢されたドゥニ・ヴィルヌーヴの描く、麻薬カルテルと米国政府のガチンコバトルは非情で、残酷で、それでいて詩的な美しさを湛えていた。
俳優陣もすばらしく、中でもエミリー・ブラントが善と悪の境界<ボーダー>で葛藤するFBI捜査官ケイトを熱演。観客は彼女を通じて麻薬戦争の複雑さを思い知り、胸を抉られるような絶望感と無力感に打ちひしがれながら、重い足取りで家路につくはめになった。
そして放たれた続編『ソルジャーズ・デイ』。
否が応でも期待は高まるというものだが、そこへまず監督のヴィルヌーヴが抜けた。
次に主演のエミリー・ブラントが抜けた。
いわば優勝の立役者となった両エースが去ったわけだから、普通ならメインのプロットだけを借りた、出がらしのような作品に堕してしまってもおかしくない状況だ。
が、本作に関しては、そうした心配はまったくの杞憂である。
なぜなら両エースが大人の事情で降板してしまっても、我々にはジョシュ・ブローリンとベネチオ・デル・トロという、西武ライオンズ黄金期を支えた秋山と清原のコンビ、通称“AK砲”にも匹敵する、強力なスラッガーが二人も残っているからだ。
彼らの渋面がそこにあるなら、大船に乗った気分でスクリーンに臨めばよい。
それでも不安が拭えないという諸兄のために、近作『ウインド・リバー』でもアメリカの暗部を鋭く抉ってみせた、天才の名をほしいままにする脚本家テイラー・シェリダンが続投していることを付け加えておく。
そして『ソルジャーズ・デイ』ではヴィルヌーヴの重厚な一枚絵が失われたぶん、このシェリダンの巧みな脚本がいっそう際立ってみえる。アレハンドロとマット・グレイヴァーという、ピンでも映画が一本作れそうな魅力的なキャラクターにスポットを当て、掘り下げていくという方向性が見事に功を奏している。
料理の鉄人・道場六三郎の言葉を借りるなら「素材が成仏している」のだ。
中でも成仏しているのがデル・トロだ。前作では寡黙ゆえに底知れぬ凄味を放つ、“やるときは容赦ない”タイプだったアレハンドロだが、今回は最初からエンジン全開。せっかくかぶった覆面も脱いで、白昼堂々、路上でマガジン全弾を悪党へぶっ放すシーン一発によって、アレハンドロやばい。パない。あっちの世界へ行っちゃってる。と衆生に覚悟を決めさせる。
前作では謎めいていたアレハンドロの過去も、けっこう明らかにされる。おかげで“嘆きの検察官”(二つ名の翻訳すばらしい!)の神秘性は薄れてしまったが、逆に鎖から解き放たれた猛犬のように、シェリダンの脚本の上でやりたい放題やってくれる。一挙手一投足のすべてが格好いい。惚れる。
そして『オンリー・ザ・ブレイブ』で山火事と戦い、世のオヤジ好きを悩殺したばかりの、もうひとりの渋面使いブローリンも、前作以上に食えない男っぷりを発揮していて、次にどんな行動を取るのかまったく読めない。しまいには、こんな男を飼っているアメリカという国に同情心すらわいてくる。クビにしたらアレハンドロを従えて報復されそうだし、上司は特大の時限爆弾を抱えている気分で夜も眠れないだろう。
いずれも善悪のボーダーなんてものはとうの昔に超越した次元で戦っている男たちだけに、前作のような、倫理観を根底から揺さぶられるような場面は正直、少ない。どちらかというとふたりの行動原理、決して曲げられない矜持みたいなものに重点が置かれ、どこか『レオン』を思わせる、比較的前向きなカタルシスが得やすい展開になっている。
そういうわけで、安っぽい邦題のせいで損をしている(原題は『Sicario』、スペイン語で“殺し屋”の意味)気がしないでもないが、『ボーダーライン』シリーズは今もっとも信頼のおける、社会性と娯楽性がとんでもないレベルで融合したアクションドラマだ。
クリフハンガーもばっちりだし、完結編となるパート3の完成が待ち遠しくてたまらない。
ちなみにメキシコ麻薬戦争のリアルをもっと知りたい方は、『メキシコ 地獄の抗争』という白昼夢で見るまさに地獄のような作品があるので、こちらもチェックされたし。
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