【連載/映画ホルマリン漬け】第3回:『孤狼の血』~あるおじさんの記憶~

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(by とら猫

役所広司という芸名の由来が、昔役所に勤めていたから、と知った時の衝撃はかなりのものだった。

あれは確かまだ小学生の頃、エネッチケーで『宮本武蔵』が放送されていた時分で、その特集番組か何かで小耳に挟んだのではなかったかと思う。なぜ衝撃を受けたかというと、名前っていうのはそんなに適当な理由でつけても構わないと知ったからだ。

それまで名前というものは、子供なら両親が、大人なら当人が、脳漿が漏れるくらい悩み抜いてつけるものだと思っていたし、自分の名前にもそれなりの意味が込められていると聞かされていたので、この「役所勤めだから役所」という考え方は、今思えば苗字ではあるけれど、あらゆる点で斬新すぎて、当時の幼い自分の頭が一瞬真っ白になったことをはっきりと記憶している。

なぜこんな話をしたかというと、『孤狼の血』という映画を観たからだ。

ざっくり言うと、時は昭和末期の日本、処は広島。役所広司扮する、すべてにおいて型破りで無法で傲慢だが凄腕のベテラン刑事大上章吾が、とある金融会社職員の失踪事件を捜査していく中で、尾谷組と加古村組という地元暴力団の抗争激化に巻き込まれていく、という話である。

役所広司は傑作『CURE』などで知られる日本を代表する名優だが、一時期あまりにも色々な映画に節操なく出演するもので、正直私なんかは食傷気味だった。が、本作の役所はすごい。すごい。すごい。と、「すごい」を三連発しても足りないくらいすごい。すばらしい。そのふたつを掛け合わせて「すごばらしい」と称えたくなるくらい、既存の表現では言い表せない、映像だけが雄弁に語れる迫力を濃密に発散していて、観ているほうもつい、「わしゃ熱くて食べれんのじゃ、猫舌じゃけんのう」とか怪しい広島弁を口走ってしまうほどだ。

そして暴力団と聞いて思い出すのは、平塚のおじさんだろう。と言っても、誰のことかさっぱり分からないと思うが、平塚のおじさんというのは私が幼い頃、平塚という街に住んでいたおじさんのことである。そのままじゃけんのう。

が、平塚のおじさんは刑事で、それも暴力団対策を専門とする部署、いわゆる「マル暴」に所属する凄腕ディテクティブだった。平塚のおじさんはなぜか、私のことをかわいがってくれ、よく高級なステーキ屋や寿司屋に連れていってくれた。子供の頃に食べていたステーキや寿司のおそらく7割は、平塚のおじさんの懐から出ていったものだ。おじさんの財布はいつも、大量の万札でぶ厚く膨れ上がっていた。

平塚のおじさんは本当に石原裕次郎みたいで、まあ、当時はそういう格好をしているおじさんが多かったのだけれども、シェードの入ったサングラスを掛け、長めのコートを羽織っていた。振り返ってみると、そういえばコート姿のおじさんしか記憶にない。夏はどうしていたのだろう。やはりコートを羽織っていたのか。その下に忍ばせた物騒な何かを隠すために。

平塚のおじさんは自分にとっては、ものすごく優しい人だったが、幼かった自分にも、なんかこう、人外な迫力、威圧感というものはひしひしと伝わってきた。それは世間一般のおじさんに対する態度というものが、明らかに普通とは違っていて、いわゆる周囲から「一目置かれている」ことが子供ながらにはっきりと察せられたからだ。怒らせたらやばい、と。『孤狼の血』の大上のように。

そんな平塚のおじさんは今頃何をしているのだろうか。

今となっては、生きているのかもよく分からない。

イラスト by (c) Yumi Imamura

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この記事を書いた人

本サイトの編集長たる猫。ふだんはゲームとかを翻訳している。翻訳タイトルは『Alan Wake』『RUINER』『The Messenger』『Coffee Talk』(ゲーム)『ミック・ジャガー ワイルドライフ』(書籍)『私はゴースト』(字幕)など多数。個人リンク: note/Twitter/Instagram/ポートフォリオ