何か別のものになりたい、いわゆる「変身願望」というやつはおそらく、かなりの割合の人が持っているはずで、私なんかももちろん持っている。たっぷり。それが証拠にかつては自宅のクローゼットに、サルとカンガルーの着ぐるみを常備していた。

が、実際着てみると分かるが、変装は温度差との戦いだ。無関心を装う周囲の目はどこまでも冷たく、蒸れまくる着ぐるみの中はどこまでも暑い。盛り上げようとすればするほど、そうした温度差は広まっていく。だめだ。オレだめだ。サル着るんじゃなかった。なので変装者にとっては「いつ(when)」「どこで(where)」「誰に(who)」変装するかが非常に重要となる(3W)。うかつに変装すれば、上述のように即刻心を殺されるからだ。

かといってコスプレイヤーが集まる会場はレベルが高すぎるし、本来なら皆にとって等しく変身願望のはけ口となってくれる「ハロウィン」という素晴らしい習慣も、渋谷の例が伝えるように、今や単なる暴力の場と成り果ててしまった。

ない、着る場所ない。サルを着る場所ない。

こうして世の中には今、満たされない変身欲が溢れ、カジュアルな変装者たちは胸に悶々とした思いを抱えながら生きているのが現実だ。ポイズン。

が、そこへ救世主が現れた。『ヴェノム』だ。

確かに『ヴェノム』は映画であり、変身するのは役者であって、通常自身の変身欲が満たされることはないのだが、『ヴェノム』はその辺をよく弁えていて、変身する役者にトム・ハーディ、略してトムハを配してきた。なら大丈夫だ。

なぜ大丈夫かというと、トムハはオレたちのトムハだからだ。トムハは間違いなく大スターなのだが、この男はかつてアル中に苦しんでいたせいか、妙に人間臭いところがあって、そこら辺でうまい棒をかじっていそうな、ちょっと情けない兄ちゃんを演じるのが病的にうまい。

かの傑作バイオレンス『マッドマックス』のリメイク版で主役を張った時も、トムハはメル・ギブソンからすべてのオーラをそぎ落とした単なる「輸血袋」としてスクリーンに現れ、おいしいところを片っ端からフュリオサにもっていかれたあげく、自身はほぼ全編唸っているだけ、という映画史上類を見ないヒーロー役をクールに演じきってみせた。

そして『ヴェノム』でもトムハはトムハだ。映画が始まって数分後、トムハはいかにもオレたち庶民がやってしまいそうな、身から出たサビを絵に描いたような理由で職を、恋人を、すべてを失い、どん底の暮らしへと突き落とされる。うんうん、誰だってこんな失敗しちゃうよね。バーで酔っ払って客にからみ、まともな職がちっとも見つからず、汚れたアパートでビールを煽っている時のトムハはまさしく、何かをやらかしてしまった時のオレたちであり、オレたちはトムハを通じて自分を眺めているのである。

そんなトムハが“ヴェノム”になるということはすなわち、オレたちが“ヴェノム”になるということだ。そして映画『ヴェノム』では周りにいるみんながそうやって“ヴェノム”になっているので、周囲との温度差によって心を殺される心配もない。若者にトラックもひっくり返されない。みんな平等だ。みんなヴェノムだ。

なので変装のない日々に倦んでいる諸兄や、先の渋谷の一件以来、変装の未来を案じている若者たちは今すぐ映画館へ走って『ヴェノム』を観たほうがいい。もう渋谷のハロウィンなんて必要ないことに気づくはずだから。

ちなみに『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』という映画も、何かやらかしてしまって悶絶、苦悩、難渋するトムハを、全編ほぼ一人芝居という形で独占できるので、トムハ好きは必食とされたし。

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本サイトの編集長を務める、猫。普段はフリーの翻訳屋さん。
連載エッセイ:映画ホルマリン漬け猫の国
翻訳タイトル:『RUINER』『Owlboy』(ゲーム)『ミック・ジャガー ワイルドライフ』(書籍)『私はゴースト』(字幕)など。