~“Trick or Treat!”の持つ意味とは~

仕事の関係でほとんど父が家に帰ることがなかった家庭環境において、私の父親像はひどく曖昧なものだった。数える程しかない、父と何かを行ったという記憶の中で最も印象深いのは、一年ほど続いた一緒に映画を観にいくという習慣だ。毎週水曜日、学校帰りにそのまま父の車に乗って近所の映画館に連れられる。車中では取り止めのない話をして、その場で決めた映画を観たのちに再び車に揺られて、自宅の玄関前で父を見送った。

いつかは親になりたいという願望はあるものの、これっぽっちの記憶では理想の父親なんてものは想像が難しい。私のなかで、それは漠然とした不安へと変わっていた。『パーフェクト・ワールド』においてケビン・コスナー演じるブッチも、おそらく同じ憂いを感じていたに違いない。

本作は、ブッチという1人の脱獄犯が、身を守るために誘拐した少年のフィリップとともに、短い旅の中で真の父親像を探し求める物語だ。旅の目的地はアラスカ。父から一度だけ送られた絵葉書を頼りに、再会を願ってブッチは凍土へと車を進める。父が好きだったフォードに乗って父の元へ辿り着きたいと繰り返すブッチの姿は、親の幻影を求めて駄々をこねる幼き子供そのものだ。

つまり、ブッチは父親に捨てられた子供である。そしてそれはフィリップも同様だった。彼らは互いの境遇の良き理解者だったからこそ、言葉で交わさずとも少しずつ信頼関係を結ぶ。そしてフィリップは、ブッチに父親という実像を徐々に重ねていく。

劇中、ブッチが親としてフィリップに説こうとした生き方は、自らの意思で未来を掴み取るという普遍的な姿勢だ。悪人としての人生を半ば強いられてきたブッチだからこそできる、粗っぽくも説得力のある教育に私たちの感情は揺さぶられ、彼をただの悪者として評価することが難しくなる。そして、フィリップはその境遇から自分で何かを選べない子供だったが、盗みという劇的な体験を経て、自らの選択と決断に価値を感じるようになる。

この物語が美しい所以は、ブッチ自身が最終的に手に入れる父親としての姿、すなわち結果そのものにあるわけではないように思う。彼がどのような過程を経てフィリップの父親となったのか。そこに本作のタイトルの意味、「完璧な世界」が隠されているのではないだろうか。

実はこの旅路は、彼を取り巻くアイデンティティを一つ一つ剥ぎ取っていくものだ。脱獄をともにした共犯者、親父の姿を重ねていた車、力の象徴である銃、そして金に至るまで、これら全てをフィリップのために喪っていく。中でも特に記憶に残るのは、彼がダイナーの女性と一夜を共にしようとしたシーン。その行為をフィリップの瞳に映すまいと、彼は自らの性欲すらも振り払う。

彼は新たに父親としてのセンスを自分に学び足し、それを磨いていくのではない。劇中で描かれる様々な試練は、彼からフィリップにふさわしい父となるために不必要なものを削ぎ落としていく。それでも最期まで彼の傍にあるもの、それはフィリップが身に着けていたゴースト・キャスパーのお面。彼の根底には、もともと良き父親になる素質が備わっていたというわけだ。

結局、彼らは目的地につくことは叶わなかったが、初めからその必要はなかったのだ。遠回りこそしてしまったが、彼らの間に優れた親子観が芽生えていたことに気づいた時、ブッチは安堵してその運命を受け入れる。

物語終盤では、ブッチがフィリップに自分から離れることを強いたにも関わらず、フィリップは強い意志を持って彼の元に駆け寄っていく。この逞しい姿をみて、溢れた涙で視界を歪ませてしまったのは私だけではないだろう。

“Trick or Treat!” そう、私たちは選択することができる。フィリップが言ってみたいと願ったそのセリフの内には、誰かに決められるわけではなく、自らの意思こそが未来を形作れるという希望が隠されているように思う。ブッチは確かにろくでなしだったが、はじめから単なる悪人ではなかった。誰にでもあらゆる可能性が生まれながらにして内在した世界、それをパーフェクトワールドと言わずして、一体なんというのだろう。

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あでゆ

自然言語屋。プログラミング言語屋。器用貧乏に色々。
第5回星新一賞・入賞。公式サイトはこちらから
連載エッセイ:隠れ名画のすゝめ