何かにつけて「平成最後の夏だから!」と叫ぶ人の多い今年の夏。
来年春に元号が変わるのだから仕方がないのだけれど。
夏にミラクルを期待する我ら日本人は、平成最後の夏に何か奇跡が起こるとでも思っているのだろうか。
そんなこと言ったら2018年の夏は今年が最後だし、今日だって今日最後の今日だ。一日一日を大切に生きよう。

屁理屈はさておいて、去りゆく平成最後の夏を惜しみながら何か書こうと思ったのだが、何も思い浮かばない。おまけに平成何年に何があったと言われてもピンとこなくなってしまった。年齢のせいだろうと言われても反論できない。
「Hey! Say! JUMPは来年からどうするんだろうなぁ」と余計な心配をするのが関の山だ。

昭和最後の日はどうしてたっけ?

当時私は東海地方の大学に通っており、冬休みで実家がある北国に帰省していた。
休みはもう少し先までだったが、早めに戻らなければならなかった。

その日は「ミサ」に行く予定だったのだ。

今さら解説せずともご理解いただけるかと思うが、聖飢魔IIの「ミサ」とは、人間界でいうところの「ライブ」である。
その年は私の成人式もあったのだが、成人の日(当時は1月15日)まで滞在を延ばすと学校も始まっちゃうし、ミサにも行けないし、そもそも成人式なんて別に出なくてもいいし、などと難癖つけて、ミサ当日のフライトを予約したのだった。

1989年1月7日の朝、うんと早起きして茶の間に行ったら、テレビの画面がただならぬ様相を呈していた。
青いバックに危篤を知らせる白い文字。今でも目に焼き付いて忘れられない。
それまでも毎日体温、脈拍、血圧などを目にしてはいたとはいえ、さすがの私も動揺を隠せなかった。

慌ただしく支度をして、朝早い飛行機で羽田に向かった。
着陸すると、座席前方のスクリーンに、DAIGOのおじいちゃん(当時の竹下首相)が神妙な顔をして何かを読んでいる姿が映っていた。

私はその時、昭和が終わったことを察した。

ミサはどうなるのかな。やっぱり中止かな。

当時は携帯電話もなかったので友達にも連絡が取れず、ミサが予定通り行われるにしてもまだ時間があったので、下宿に帰る新幹線に乗る前に、地獄の都会ビターバレー(=渋谷)の街を一人うろうろしていた。
だけど、ビターバレーはそれまで見たことがないほどひっそりとしていて、死んだようだった。

下宿に戻り、同行する友達と待ち合わせて、
「やっぱりミサは中止かねえ」
「どうだろうねえ、悪魔だけどねえ」
なんてたわいのない会話をしながら、チケットを持って会場に赴いたが、そこにはミサの延期を知らせる張り紙があった。

悪魔にも勝てないものがあるということを、私たちは知った。

こんな日でもレストランは開いていたので、その後はみんなで和やかにパスタを食べて帰った。
1月15日、まわりの友達はみんな成人式で地元に帰ってしまい、私も今さら北国に戻れなかったので、また一人でビターバレーに遊びに行き、CDショップ巡りをして、私なりに成人の日を楽しんだ。
ちなみにミサは後期試験の最中に延期され、私の苦しみは倍増した。
悪魔も魔力があるなら試験の日程を変えてくれたらいいのになぁ、と八つ当たりしつつ、理不尽なことを考えた。

「お前らを蝋人形にしてやろうか」

昔話と食うことと写真とロックが好きな、英国狂の翻訳者。
イギリス/音楽/食