~オトナになりきれない人への『21ジャンプストリート』~
先日、『ペンギン・ハイウェイ』という映画を観に行ってきました。アオヤマ君と呼ばれる秀才小学生と、彼の近所で歯科助手として働くお姉さんを中心としたジュブナイルSF作品です。

アオヤマ君にとって、お姉さんは初めて恋心を抱く異性です。男性であるアオヤマ君にはないものを持った彼女は、彼にとって間違いなく異質な存在。初めて生じる抑えきれない感情も、勉強では解き明かすことができません。自らとはなにもかも異なる彼女との対話を経て、不可逆な成長を遂げるアオヤマ君は大人への一歩を踏み出します。
最も印象的だったのは、二人がチェスをプレイするシーン。勝負がつく前に寝入ってしまうお姉さんに、アオヤマ君は布団をかけてあげます。詳しくは伏せますが、いつまでも終りのないチェスの対局と、彼のちょっぴり背伸びした振る舞いの対比は、本作そのものを象徴しているといってよいでしょう。

私たちは20歳、もしくは18歳になると社会から大人として扱われるようになります。ところが、それ以前と以後で私たちになにか変化が生まれているかというと、全くそうではありません。なんとなく、なあなあで大人になっている気がしませんか?

『ペンギン・ハイウェイ』のような子供から大人への成長を描いた作品として、『21ジャンプストリート』は忘れられません。本作はボンクラなコメディ映画ですが、オトナになりきれずに大人になってしまった人への賛歌でもあります。
高校時代はスクールカーストの頂点にいたイケイケのジェンコと、底辺で内向的なシュミットの二人。彼らは揃って警官を目指し、警察学校に所属しているときに縁あって固い友情を結びます。

晴れて警官となった凸凹コンビの初任務は、なんと高校への潜入捜査でした(それもガキっぽいという理由だけで)。高校生活に大きなトラウマを背負っているが故に不安を覚えるシュミットを、自分に任せておけと鼓舞するジェンコ。ところが、時代経過によって学生のトレンドは草食系男子へ。『glee』のせいだ! と嘆くジェンコを尻目に、シュミットは2度目の高校生活を謳歌します。

元がどんな人間だったとしても、人は身を置いた場所に応じて生まれ変わることができる。私達は何者にもなれるんだということを、画面の中でイキイキとバカをやる彼らを笑い、そして惹かれることで学びました。

一方で、本作は時代や環境に左右されない本当に大切な価値観を模索する試練でもあります。任務を通じて少しずつ自らを磨き上げた彼らは、最後に一体なにを見つけるのでしょうか? そして見つけた先には待っているものとは? 物語後半で登場するある人物は、二人の未来を示しているのだと思います。
私がこの映画を観て感じたのは、大人になってからでもまだまだ遅くはないということ。昼に行くご飯屋を変えるなど些細な変化でも構いません。過去の、昨日の自分とは異なった選択を試すことで、改めて自分の中での不変の価値を探ることこそが大切なのだと。なんにせよ、始まりも終わりもないような繰り返され続ける日常は人の成長を止めてしまいます。

無論、成長は不可逆です。ひとたび成長をしてしまえば最後、元の無垢な心に返ることは許されません。新たな選択へと一歩踏み出すことは、同時に今ある環境を捨て去る苦さも生まれます。その苦さを乗り越えることが真の成長につながるのではないでしょうか。

いや、こんないつの時代も感動できるテーマを、下品な暗喩とナンセンスギャグの応酬で語り切ってしまうのがこの映画のすごいところ。続編の『22ジャンプストリート』も本作のテーマを引き継ぎつつ、想像以上にアッパーでイカれた出来となっており、そちらも大変オススメです! ちなみに、私にもこういった体験があるのですが、長くなってしまったので次回の更新にて。

ということで、劇場未公開映画の紹介を中心とした連載をさせていただくことになりました。前回ご紹介した『マザー!』を、初回として扱わせていただいております。

改めて、よろしくお願いいたします!

(C)2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会、(C)2018 SONY PICTURES DIGITAL PRODUCTIONS INC. ALL RIGHTS RESERVED.

あでゆ

自然言語屋。プログラミング言語屋。器用貧乏に色々。
第5回星新一賞・入賞。公式サイトはこちらから
連載エッセイ:隠れ名画のすゝめ