私の中のバトル

大学生の頃の私は、パティ・スミスやライオットガールムーブメントについて興味津々で、「パンクロック界におけるジェンダーロールの変化」をテーマに研究していた。それからも、“女である”というだけで経験した不快な思いや、フェミニズムムーブメントについての自分の考えをつづったZINEを作り、おかしいと思ったことは「おかしい」と自分なりに声をあげていた。

「おかしいな」という感情を見て見ぬふりをするようになったのはいつからだろう。社会に出るようになり、「おかしいな」にいちいち意見することに疲れてしまった。

どうせ声をあげても、どうせ何か発言しても、どうせどうせどうせ。
どうせ今まで長年培われてきた社会の図式を、私なんかが変えられるわけがない。
これはおかしくない。こういうものなんだ。これが社会だ。大人だから我慢しなきゃ。と、あふれ出てくる居心地の悪さにフタをして、気づかないふりばかりが得意になった。

取引先に「なんだ、女の営業ですか…。」とため息を疲れても。
上司に「結婚の予定はないの?」と聞かれても、「ハハハ」と薄ら笑いを浮かべるだけで、何も感じないように我慢をしていた。我慢ばっかり続けていたら、そのうち何も感じないようになってしまった。

『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』は、ビリー・ジーン・キングとボビー・リッグズによる、世紀のテニス男女対抗試合”バトル・オブ・ザ・セクシーズ”を描いたコメディ映画だ。

当時の女子選手と男子選手は、観客の動員数は変わらないものの報酬が8倍も違っていた。しかし、そのことに意見した29歳のビリー・ジーンは、男性優位社会のテニス協会を干されてしまう。そこで彼女は自らスポンサーを募り、自分たちで大会を開催する。
そうこうしている間に、ギャンブル依存症で妻に家から追い出された、元テニス選手のボビー・リッグズと試合をすることになる。これぞ、バトル・オブ・ザ・セクシーズ。性別間の戦い。

「女になんか負けてたまるか」「お前達の居場所は台所だ」と女をバカにするボビーたちに対して、ビリー・ジーンがこう言い放つシーンがある。

「女が男よりも優れているなんて言っていない。敬意を持って接して欲しいだけ。」

もしも、あの時ビリー・ジーンが「何か意見したところで変わるわけではないし、気づかないふりをしておこう」と賞金が少ないことも我慢して受け入れて、おかしいと思うことに見て見ぬふりをしていたらどうなっただろうか?
「私なんかの意見」と言って黙っていることは、自分の後ろにいる、さらに若い世代たちの未来を潰すことなんじゃないかとこの映画は教えてくれた。
テニスの世界だけではない。過去に、たくさんの勇敢な女性達が、声をあげてくれたから、現在の私たちの生活がある。

今すぐビリー・ジーンのように、「よし!じゃあ戦いましょう!」なんてことはできないかもしれない。でも、「1人の女性の行動で世界は変わった」という事実を忘れずに生きるだけでも、その先の未来は変わっていくのではないだろうか。

(c) 20世紀フォックス

英日字幕翻訳者。中国語も少し。最近は韓ドラにはまってます。
連載エッセイ:字幕翻訳者の“この台詞が好きなんです”
字幕担当作品:『キス・ミー・ファースト』など