いわゆる下町にある喫茶店。すぐちかくには、ランチのときだけ食べられる親子丼を求めて長蛇の列ができるお店や、テレビ・映画の撮影に使われる喫茶店もあるけれど、道一本はずれたところにあるそこは、時間がゆっくり流れている。席はコの字型のカウンター席だけで、喫茶店というよりはアメリカのダイナーのよう。あるいは、初期のミスタードーナツ。そういうつくりなので、必然的に、ほかのお客さんのこともよく見える。その日のお客さんは、わたしのほかには女性ふたり組と、おばあちゃんひとりだけだった。

そしてそのおばあちゃんは、あきらかにようすがおかしかった。具合が悪そうとか、怪しげな動きをしているとかではない。とにかく、彼女の周りだけ空気が沈んでいるのだ。ネガティヴなオーラが見えそうなくらい。おばあちゃんは時折、深くため息をつく。そのたびに店主の女性は、ちらちらと彼女に目を遣る。そんなようすが気になりながらも、じっと見ているのも失礼だし、わたしは自分のサンドウィッチを食べていた。しばらくして、おばあちゃんはちいさな声で「帰る……」と言って席を立った。彼女の前に置かれたグラスのなかのアイスコーヒーは、ほとんど飲まれていない。それでも、店主はカウンターのなかから「あしたも来てね、絶対よ!」と、くり返し声をかけた。その声が聞こえているのかいないのか、おばあちゃんはふらふらしながら店を出ていった。

その後、女性ふたり組が、あの人はどうしたのか、だいじょうぶか、と店主に訊いた。ふつうに考えれば、ひとのことを気にするなんて、となるかもしれない。でも、彼女たちも訊かずにはいられなかったのだろう。店主が、ぽつぽつと彼女たちに答える。ちいさな店内で、その会話はわたしの耳にもはいってきた。彼女が最近、ご主人を亡くしたこと。落ち込んで家に閉じこもりがちになっていたので、とにかくここにいらっしゃいと言っていること。そして、彼女とは小学校にあがるまえからの幼なじみであること。そこで彼女たちだけでなく、わたしも思わずちいさな声を上げた。店主はどう見ても、70歳は超えている。ということは、ふたりは半世紀以上もお友だちなんだ。そのお友だちが困難なときに、どうにか力になろうとしているんだ。ずいぶんと感動した。

しんみりしながら、なんだか温かい気持ちになって店を出た。でもそこで、半世紀には及ばないけれど、自分にも数十年来のお友だちがいると思いいたって、その年月の長さにすこし衝撃を受けた。彼女たちとは、毎日、連絡をとっているわけではない。それでも、会えばきのうからのつづきのように、いろいろなお話ができる。そしてふと、彼女たちとはこの先もっと時が経っても、なにかあったときに助けになってあげられる関係でいられるだろうか、そんな考えが頭に浮かんだ。あの、ふたりのように。すぐに、だいじょうぶ、と素直に思えた。いい日だった。

吉野山早苗

猫と喫茶店とキリアンが好き。近所の猫たちに癒される日々。
翻訳書:『オリエント急行はお嬢さまの出番』『貴族屋敷の嘘つきなお茶会』『お嬢さま学校にはふさわしくない死体』など
喫茶店/猫/キリアン