寒い系、という映画がある。
ないかもしれないが、少なくとも自分の中にはそういうジャンルが歴然としてある。他の人がどうかは知らない。

実際、季節は映画のテイストに大きく関与する。ざっくり言って夏の映画は外向的で明るく、冬の映画は内向的で暗い。もちろん例外はごまんとあるが、『シャイニング』しかり、『ファーゴ』しかり、荒涼とした銀世界をたやすく想起させる冬という季節が、寒々しい心のありようを取り扱うことの多いサスペンスやスリラーといったジャンルの舞台に向いているのは確かだろう。

そのせいか、寒い系には重苦しい作品が多い。心の闇や、忌まわしい過去を抱えている者がよく出てくる。『ウインド・リバー』の登場人物たちもご多分に漏れず、一生拭い去れない罪悪感と無力感によって、すべての感情が死んでしまったような目をしたジェレミー・レナーを筆頭に、誰もがそれぞれの苦悩を抱えながら、この雪に閉ざされたネイティブアメリカンの居留地“ウインド・リバー”で、心を引きずるようにして生きている。

そしてある日その山奥で、ひとりの少女の凍死体が見つかる。

そこへ捜査のために駆り出されるのが「なんで自分がこんなクソ寒いド田舎へ派遣されなきゃならないの」といった上層部への不満および「てめえら、このあたしを何もできないひよっ子扱いすんじゃねえよ。殺すぞ」といった負けん気の強さを端々に漂わせる、疲れ顔の新米FBIエージェント、エリザベス・オルセンだ。

これが常夏のフロリダビーチ辺りで起きた事件であれば、おそらく現場へ派遣されるのはエディ・マーフィーやクリス・タッカー辺りの口の達者な、調子のいい刑事たちだったろう。そうしてマフィアやらサメやらサミュエル・L・ジャクソンやらも巻き込んでのどんちゃん騒ぎが繰り広げられたあげく、ビキニのお姉さんたちをはべらせて幕、みたいな余韻もへったくれもない能天気な展開が待っていそうな気がする。

だが、『ウインド・リバー』は生粋の寒い系映画だ。覚悟がちがう。アメリカの抱える最大の闇のひとつ“ネイティブアメリカン問題”へと切り込み、前向きになれる要素を観客からひとつずつ取り上げていく無慈悲で、容赦ない、殺伐とした序盤を観終わった瞬間、場慣れした諸兄であれば、胸にどでかい穴を開けられ、険しい顔つきで映画館を出ていく羽目になることを覚悟するだろう。

そして、その感覚は間違っていない。エンドロールの始まりと共に、観客は途方もない共犯意識を植えつけられ、言葉にならない思いを頭の中でぐるぐると巡らせながら、座席を立つことになるのだ。

やはりネイティブアメリカン問題を取り扱った、同じくらい陰々滅々たる気分にさせられる『フローズン・リバー』という寒い系映画の傑作があるが、どちらの作品のタイトルにも“リバー”という文字が含まれているのは果たして偶然だろうか。私は今後こうした映画を“なんちゃらリバー系”と呼ぶべきなのか。川は悲劇を呼び込む符丁なのか、象徴なのか。なんなのかなんなのか。

いずれにせよ、美しい雪景色の下に深い闇が覗いているかどうかは、実際にそこを歩いてみるまでは分からない。そして自分も含めた多くの人は外から雪を眺めるだけで、あるいはスクリーン越しの真実にしばし目を留めるだけで、一生を終えていく。悲しいけれども、今後も笑って生きていくためにはひとまず、そうした現実的で、消極的な選択をするより他ない。他人の痛みを感じようとする行為は、想像以上に難しく、時に厚かましく映るものだ。覚悟がないと、うかつにはできない。

そういや、あの3頭のピューマはその後どうなったのだろうか。

(文中イラスト (c) Yumi Imamura

 

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本サイトの編集長を務める、猫。普段はフリーの翻訳屋さん。翻訳タイトルは『RUINER』『Owlboy』(ゲーム)『ミック・ジャガー ワイルドライフ』(書籍)『私はゴースト』(字幕)など。連載「映画ホルマリン漬け」「猫の国」