【連載/隠れ名画のすゝめ】第1回: 人を赦すための物語『マザー!』

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みなさんは、人を傷つけてしまったことがありますか?

約束を破ってしまったり、ちょっかいを出してしまったり、あるいは意見が食い違ってしまったり。様々な形があると思いますが、誰しも一度くらいはなにか経験があるのではないでしょうか。

私はまだ大学に入って間もない頃、塾講師のアルバイトをしていた時のことをたまに思い返します。配属されて初めて担当を受け持った子は明るくて愛想も良く、勉強は並以上にはできる教えがいのある生徒でした。成績も伸びてそれなりに信頼を得た頃、授業の終わりに彼からこういったような内容の質問を受けました。

「八方美人といわれ友達から嫌われていた、人との関わり方がわからない」

話を聞くと、彼の持つ明るさは他人との関係を円満にやり過ごすための処世術であり、本来のものではなかったというのです。ところが、敵を作らないようにしていた立ち回りが災いして、周囲からそうした評価を知らないうちに受けていたようです。

その時はそこまで深刻に感じていなかった私は、彼にしっかり向き合うことなく「明日話そう」と言ってそのまま帰宅させてしまいました。既に夜遅くなっていたこともありますが、その日のうちに提出しなければならない大学のレポートを残してしまっていたため、一刻も早く取りかかろうと必死だったのです。彼は「わかりました」と言い残しました。

ところが、日が経って話を聞こうとすると、「もう解決したから」と表情を曇らせて、彼は口を閉ざしました。当然、その後は2度と彼から相談を受けることはありませんでした。10分、いや5分だけでも彼の話に耳を傾けたとしたら、何かが違ったでしょう。彼の気持ちを汲み取ることができなかった私は、無神経な言葉を投げかけた人たち以上に彼を傷つけてしまったのかもしれません。

ダーレン・アロノフスキー監督の『マザー!』は、そんな他者との関係の中で失敗してしまった時に観たい映画です。過去に偉大な功績を挙げた作家と、新作を期待する新妻の二人が住む古家での出来事が描かれます。ジャンルはサイコホラーということですが、ゴア描写などはあまりないのでご安心を。

劇中、この家には様々な客人が訪れます。はじめは最近この辺りに越してきた医者と名乗る怪しい男。真夜中の来訪に驚きを隠せない妻をよそに、作家は来るものを拒まずの精神で快くこれを出迎えます。医者は遠慮する様子を一応演じつつも作家と酒を酌み交わし、そのまま妻の了解も得ずに一晩泊まることに。さらに翌朝、その医者の老妻が家に転がり込み、作家の好意によって二人はそこに住み着きはじめるのです。こうなれば、新婚生活はもうめちゃくちゃ。

このように、ハビエル・バルデム演じる作家は、その強面からは想像し得ない純粋無垢な笑顔を時折浮かべながら、彼のもとに集まる人々の様々な要求に対してYESと答え続けます。はっきりいってバカ。その“善意”によって引き起こされる邪悪な事象の数々を、私たちは苦悩する妻と同じ目線に立って目の当たりにすることになるのです。全編にわたって彼女の背中を追いかけるようにして映すカメラアングルは、本作最大の特徴といえるでしょう。

人間は、本質的にはわかりあえない生き物です。もちろん長年連れ添った夫婦など、ある程度はお互いのことを知ることができると思いますが、どこかでは必ず違いがあるはず。なぜなら、私たちは一つの立場からしか物事を観ることはできないからです。様々な視点から俯瞰的に物事を観るなんてことは、もしかすれば神にも叶わないかもしれない。

作中で「最も偉大な作家」として描かれる彼ですら、最愛の妻を傷つけて裏切り続けるのですから、ちっぽけな存在である私たちが失敗なく過ごすことなど夢のまた夢。本作を観るとそんなことを考えて、自分の失敗を一旦赦(ゆる)し、次に繋げようという勇気が湧いてきます。

そして本作は、「自分を赦すための物語」であると同時に「他者を赦すための物語」でもあるようにも思います。1度や2度の失敗で相手を見限るのではなく、改善を期待して行く末を見届けることも大切なのではないでしょうか。

本作は今回の話以外にも様々な感情が渦巻く、観る人それぞれが何かを得ることができる鏡のような作品となっています。この紹介が、あなたの心の傷を癒すきっかけとなれば幸いです。

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(C) 2017, 2018 Paramount Pictures、(c) Protozoa Pictures

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この記事を書いた人

自然言語屋。プログラミング言語屋。器用貧乏に色々。第5回星新一賞・入賞。

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