「ささやかな日常の感情についてを見つめるビデオゲーム」現実を生きるなかで実際にやることはささいな行動の数々だ。ほとんどはドラマチックな物事から切り離されている。朝決まった時間に起きる。朝食を作る。皿を洗う。服を着替える。歯を磨く。生活のおおよそは特別なこともない行動で埋められている。

ビデオゲームでは長らく、そんな生活の中で生まれる感情にフォーカスされることは少なかった。勇者が剣を置き宿屋から出るとき、海兵隊が銃と軍服をしまったオフの日にスーパーに寄るときの感情については知るよしもない。

冒険や戦争を描くビデオゲームのなかで、巨大な脅威に立ち向かうヒロイックな感情や困難な敵と戦う感情についてをプレイヤーは知っているだろう。だけど日常から生まれてくる感情についてを取り扱うビデオゲームはこれまで取り扱われなかった。洗い物をしているときにふと5年前の職場のやり取りで抱いた殺意について思い出す感情については知られていない。

ビデオゲームが鬱屈した日常での感情について描くことが増えたのは、ここ数年の間だ。それは個人製作や少数のメンバーで制作されるビデオゲームのシーンから生まれている。

たとえば『CartLife』(リンク先はフリーダウンロード公開)という小売業として生活していくビデオゲームがある。表向きはアメリカ簡素な経営シミュレーションのような趣をもつが、わずかな日銭を追いながらベーグルを売って生きていく日常にまつわる感情に溢れている。

3人の主人公を選択することができるが、みんなぎりぎりの生活の中で生きている。モーテルでネコと暮らしながら新聞を売る男。娘を育てながらコーヒーを売るシングルマザー。売ったこともないベーグル売りを始める青年。商売の下準備にスーパーに買い物に行くとき、娘からの帰宅コールがかかるもすれ違う。そのことで同居している姉妹に強く責められても、毎日食事して、歯を磨いてから寝る(実際にこれらの行動をプレイする)ことは変わらない。明日は娘とすこしうまくいくことを願いながら、またコーヒーを売りに行く。

The Novelist』では妻と息子の家族で暮らす小説家の生活を描く。プレイヤーは屋敷に住み着くゴースト。家族それぞれの内面に入り込みながら、家族それぞれの持つ感情を読み取り、導いてゆく。そこには一緒に暮らしながらも決して交わらない家族ひとりひとりの心情を見つめる形になる。

また、『フィンチ家の奇妙な屋敷でおきたこと』でも日常の感情は描かれる。ある一族がすべて奇妙な死を最後に遂げるのを追っていく作品だが、その中のひとつに無為な作業の中の感情についてがうまく描かれている。家族の一人に魚工場で首を落とす単純作業を行い続ける人間がいるのだが、永遠に続くかと思われる作業と相反するファンタジックな妄想に耽る。無機質な工場での作業と、ファンタジックな妄想のふたつを同時にゲームプレイするシークエンスはまさに単純作業に従事する感情をリアルに描いているといえる。

ビデオゲームはルールから競い合い勝敗を目指すほかに、ひととおりのゲームプレイを通してある感情についてを見つめることができるジャンルでもある。プレイヤーは演者でありながら同時に観客でもある二律背反する性質を持つ故、一連のゲームプレイを通してプレイヤーの中で本物の感情が生まれながら、その感情を遠くに見つめることができる。

そして現代ではその感情についてはより細かくなっている。疲れ切り夜のバスに乗車して座席に座り帰宅する途中、ふと窓を見つめたときにやつれた自分自身の姿が反射されて映し出され、目が合ったときの感情についてを見つめられる作品がささやかに生まれている。

(c) Adventure Game Studio, (c) Orthogonal Games
イラスト by (c) 葛西祝

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連載エッセイ:LIFE-(ライフマイナス)